xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「千年王国の追求」(ノーマン・コーン)を読む ~中世における貧者達から圧倒的な支持をもって迎えられた千年王国思想~

 

千年王国の追求

  

  

さてさて。。。 

  

 

いつの時代だって、

「もし、この地上に天国が出現したら、どんなに素晴らしいことか」

と思えてきませんか?

 

 

それが近代科学の萌芽前の時代なら?

言い換えれば、民衆に対する「知識」の開放が行われていない時代なら?

そのような願望というより要求は、おそらく非常に強いものがあったことでしょうね。

 

 

この著作では、11世紀~16世紀にかけての西欧における社会状況分析の観点から、当時の民衆を熱狂させ続けた、救世主の再臨に伴う

千年王国

つまり、ミレニアムの出現への幻想を解説しています。

 

 

ミレニアムといえば・・・

おそらく一般的には「ヨハネの黙示録」の一説にある、救世主の再臨後、この地上に作られるメシア王国のことを観念する方が多いはず。

お詳しい方なら、アウグスティヌスの「神の国」を挙げるかもしれませんね。

最後の審判が下されるまでの1000年間続くとされているので、千年王国とも呼ばれているわけですよね。) 

 

 

じゃあ、終末論のこと?

そのとおり。

少なくとも、当初は。

 

 

でも人間には・・・

厄介なことに、物事をさまざまに解釈する能力が備わっています。

おかげで日本でも学生運動が盛んだった頃に起きたのと同様、さまざまな宗教的セクトが分派していくことに繋がっていくんだから困ったもんです。

 

 

そして千年王国の信奉者にとって・・・

千年王国とは、正しきキリスト教信者に等しく恩恵をもたらすものであり、(信奉者にとっては空想上の産物などではなく大真面目な意味での)現世利益を享受(っていうか謳歌)するものであることから、一種の共同体的思想へと発展。

 

 

終末論的共同体論においては、千年王国の到来は、まさに眼前に迫っている喫緊の課題なのであって、悠長に構えていて許されるものではなかったんですって。

だからこそ、民衆、特に現世において希望の光を見出すことができない貧者にとっては、自分と家族を千年王国に迎え入れてもらうことが何より重要。

 

 

十字軍に貧者の群れが挙って参加したのも頷けますよね。

そして、その通過経路にあった東ローマ帝国領内で乱暴狼藉の数々を働いても何の痛痒も感じなかったという理由も。

 

 

興味深いことは、民衆、特に貧者たちは、中世という時代においても、ローマ教皇を頂点とする教会には絶望していたってこと。

神の国」は腐敗しきった教会などではあり得ず、奇跡を現実世界で明確な形で示すことができる千年王国こそ「神の国」でなければならなかったんだとか。

 

 

現世利益をもたらさない組織なんて・・・

政治はもとより、宗教でも・・・

(以下2253文字、自粛)

 

 

この作品の驚くべき点は、こういった社会状況を丹念に丹念に(重要なことなので二度言いましたw)調べ上げて検証していったこと。

こういった緻密な作業こそが名著を名著足らしめるんですよねぇ~

21世紀の資本論」みたいに。

 

 

先ほど、貧者と乱暴にまとめて書いたんですが、より正確に書けば、当時の社会構造の底辺もしくは外縁とみなされた者たち。

単に貧しいってばかりでなく、社会構造の中にあって、それと認められる確固たる立場を持ち得ない無定形な群集。

 

 

伝統的社会集団において重要な、物質的基盤と血縁基盤を欠いているが故に、今後、社会の一員として溶け込める可能性はほとんど・・・無い。

言い換えれば、自らの声を吸い上げてくれる可能性が無い。

 

 

筆者は、そういった「社会から顧みられることのない群衆」が各地で新たな結社を結成し、建設していこうとしたと説明します。

そして、当時の教会のありように我慢ならない修道士・修道女たちもさんかしていった・・・

その中には、現ローマ教皇の聖名ともなっている聖フランシスコ(フランチェスコ)も含まれています。