xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「三位一体論」(聖アウグスティヌス)を読む ~何故、神は三位一体であらねばならなかったのか~

アウグスティヌス三位一体論

 

 

この本は、とある方の話を聞いているうちに

読んでみる気になったんです。

 

 

 

その方

大学をご卒業の後

誰もが名前を知っている巨大企業に入社。

 

 

世間の一般常識から考えれば

「勝ち組」

になるのでしょう。

 

 

ところが・・・

入社後1年と経たず

自らの意思で退職。

 

 

その理由というのが

「私」

という存在のあやふやさに

心底から嫌気がさしたからなんだとか。

 

 

その後・・・

親の反対を押し切り

神学校に入り

神父への階段を登ろうと決意。

 

 

世間では、彼のような者を

「負け組」

であるとして蔑むのかもしれません。

 

 

 

でもね。。。

 

 

 

「勝ち組」と「負け組」

その違いって、実は越えがたい壁のようなモノではなく

その概念自体が実体など有しない、非常にあやふやなものでしかない。

私にはそのようにしか思えません。

  

 

おっと。。。

また出だしから脱線しちゃった

 

(m´・ω・`)m ゴメン…

 

 

アウグスティヌス

世界史の教科書を読んだ方なら、記憶の片隅に残っているはず。

 

本名はアウレリウス・アウグスティヌス

キリスト教ローマ帝国における国教とみなされた時代における

ラテン教父であり、史上30余名しかいない教会博士の一人。

 

 

特に「自由意志」の解釈及び論争は、西欧思想全般に影響を及ぼしたともいわれています。

それ故、彼の思想に触れることは現在においても(古典の解釈という意味だけではなく)有意義であるといえましょう。

 

 

アウグスティヌスは、西欧に極めて大きな思想的かつ宗教的な足跡を残した聖人。

そのため彼の肖像画(もとより死後何百年も後に描かれたのですから想像上のものですが)は、ほぼ例外なく白髪の白人の風貌となっています。

 

しかし・・・

彼は生粋のアフリカ人。

 

彼が生まれたのも、育ったのも、死んだのも北アフリカ

(ローマやミラノ等で哲学や宗教を学んでいますが・・・)

そんな彼が「西欧最大の教父」となったのは、歴史が皮肉を心得ていることの証左。

 

 

そんな彼

「性」に関する部分は(あからさまではないけれど、かなり)明け透けに告白しちゃっていたりするんです。

 

 

 

つまり。。。

 

 

 

彼は、『異端者』だったと考えた方が分かり易いと思います。

当初は熱心なマニ教徒から回心したわけですし。

 

 

だからこそ、異端者という視点から

キリスト教という思想・信仰を相対化できたのでしょう。

 

 

 

で。。。

 

 

 

三位一体(さんみいったい)

キリスト教では、

 ① 父なる神

 ② 子なる神(イエス

 ③ 聖霊正教会では聖神

は常に一体であり、唯一神であることを表す言葉。

 

 

この三位一体を否定する教会も実際に存在します。

ただし、カトリック正教会などの主流派からは異端(許し難いほどの誤った解釈に基づく邪教徒)とみなされています。 

 

 

 

もっとも。。。

 

 

 

三位一体が非常に難解であることは

カトリックですら認めているほど。

 

 

「なぜ唯一の存在である神が

 わざわざ三つの位に別れなければならないのか?」

 

「唯一の存在である神が

 父・子・聖霊という3つの顔(位)を持っているわけでもなく

 個別具体的に説明をすることが困難を極めるのは何故か?」

 

 

挙句、その回答が

三位一体は理論として言語化することは困難であるので

そのまま信じるのが正しい(=信者としてあるべき)態度である・・・

 

 

はぁ???

 ( ゚Д゚)

 

 

ぶっちゃければ・・・

三位一体などという面倒な理屈を持ち出さなければならなくなった理由。

それは一重にイエスという救世主気取りの宗教改革者の出現。

 

 

でも困るんです、唯の人間では。

エスは「神」である

としなければキリスト教は成立し得えませんもの。

 

 

福音書にあるとおり

十字架にかけられたイエス

天にむかって

「父よ!」

と叫び、死ぬ。

その後、イエスは復活する・・・

 

 

こんなでっちあげをするから話がややこしくなってくるんですよねぇ~

 

 

a)神は唯一の存在であり、複数の神は存在し得ない

 

b)イエスは一度死んでから神となったわけではなく

  生まれる前から神である

 

 

上記b)の「生まれる」というのは

創世記の前から存在した「神の独り子」が『受肉』すること。

この世界に転生してきたことを意味します。

 

 

それに・・・

 

 

こんな面倒なことをしなければならなかった背景には

公会議の場で正統・異端の論争があったことは容易に想像できますよね。

アリウス派などに負けるわけには参りませんもの。

 


この「三位一体論」で聖アウグスティヌスは、論争に勝利すべく

 

ほとんど議論にならない

   議論を積み上げていく

 

 

おそらく書くだけムダなので割愛しますが、フツーなら

「何の議論をしてんだ?」

とバカにされて終わりのような意味不明のでっち上げの議論を積み重ねていくんですもの。

勘弁してよ、と思いたくもなりますよねぇ~

 

 

そして、おそらくは・・・

 

信仰上の問題を

  論理的言語化することの限界

 

を三位一体論は逆に示しているといえるのだろうと思います。

 

 

概念自体に実体などない

非常にあやふやなものでしかない

 

 

そう・・・

最初に登場した、あの方のような決意こそ

ある意味で宗教的振る舞いとして賞賛されるのでしょう。