xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

映画「ダウン・バイ・ロー」を観る ~倦怠、破局、不合理、裏切り、絶望・・・その果てに見つけた出会い、信頼、友情、愛情、別離~

 

知る人ぞ知る

 言い換えれば

  ほとんど誰も

   知らない映画

 

 

それが

「自主製作映画」

 

 

自主製作映画の場合

映画会社だとか制作委員会だとか

そんな資金的な後ろ盾となるものがありません。

 

 

もちろん

個人的に資金を提供してくれる方もいらっしゃいますが

映画会社のような組織的な資金投下をする場合と比較すれば、微々たるもの。

 

 

自主製作映画あるいは低予算映画が

 「ウソだろ?」

と監督自身が思わず漏らしちゃう(笑)

そんなぐらいに大当たりするケースだってチャンとあります。

 

 

良く知られたところでは

 

 「悪魔のいけにえ

  

 

 

制作予算は、たったの8万ドル。

現代なら日本円換算で800万円程度。

個人でも、頑張れば集められない金額ではありませんよね。

 

 

ちなみに・・・

原題が「Texas Chainsaw Massacre」ですから

邦題を考えた方の勝利でしょうね。

 

 

あと・・・

 

 「エル・マリアッチ」

 

 

 

制作費は、たったの7000ドル!

メキシコが舞台とはいえ、驚異的な低予算です。

 

 

収益が200万ドルを超えたという以上に

米映画会社コロンビアが乗り出したおかげで

監督のロバート・ロドリゲスさんは映画界の表舞台に。

 

 

続編(実際にはセルフ・リメイク)とされる

 「デスペラード

の予算は

 700万ドル

前作の1000倍近くにまで上昇。

 

 

ちなみに、興行収入も2500万ドルと10倍以上に。

これで第三作目の制作にもゴー・サインが出て

 『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード

を制作。

 

 

ちなみに、原題は「Once Upon A Time In Mexico

・・・まあ、許容範囲・・・かしら?

 

 

制作費は、とうとう2700万ドルに到達。

興行収入も1億ドル近くにまで上昇。

 

 

ちなみに、監督のロバート・ロドリゲスさんは

三作とも監督・脚本・制作・編集を担当し、大金持ちの仲間入り。

 

 

最後は

 

ブレア・ウィッチ・プロジェクト

 

 

制作費は6万ドル

ところが興行収入は2億4000万ドル!

 

低予算でも、世界的ヒットが飛ばせる

ということが分かります。

 

 

そして、低予算で成功できるのは

 

  カルト的な映画

 (特にオカルト系が強い)

 

ということも分かりますよね。

 

 

 

もね。。。

 

 

 

今回取り上げる

 

ダウン・バイ・ロー

 

は、決してカルト的な内容ではありません。

 

 

なお、この作品は、映画会社による商業作品ではございません。

鬼才ジム・ジャームッシュ監督の自主製作映画なんです。

 

 

だから、製作費も非常に低く、主な登場人物は3人だけ。

脇役も3人の女性ぐらいで、後は端役ばかり。

 

 

あらすじは・・・

書くには面倒なので

コチラをどうぞ

映画『ダウン・バイ・ロー』のネタバレあらすじ結末 | MIHOシネマ

 

 

 

 

 

 

んというか・・・

 

 

ダメ男3人組と通して

明日への希望を感じさせてくれる、そんな

 

 「生きる」

 

 「自由を享受する」

 

ということは、何と素晴らしいことなのだろう

と思わせてくれる、そんなシャシン。

 

 

自主映画だからこそ

(予算という大きな制約はあるが)

監督の想いが画面を通してストレートに出てきます。

ソコが良いのです。

 

 

行き当たりばったりの自己破滅的な人生を送る

そんなデタラメな3人の男。

 

 

アザゼルには、男子の「想い」というものが正確には分かりません。

男子が女子の「想い」が、おそらく生涯分からないままであるように。

(生物的な性差を超えることは不可能であるとアザゼルは信じます。)

 

 

れでも・・・

 

 

男子なら

「こんな破戒的な生活を送ってみたい」

という、潜在的な欲求があるんじゃないかしら・・・

 

 

滑稽である

 だからこそ

  可愛いのだ

 

 

仕組まれた冤罪で

刑務所送り・・・

 

 

それでも、彼ら3人は

底抜けなまでの明るさを、決して失わうことはない。

 

 

最初に退廃系のシャシンかな・・・

と思わせておいてからのイタリア人受刑者の投入からの急展開

コレにはもう・・・

 「やられた!」

の一言でございました。

 

 

故意ではないにせよ

殺人罪という重罪で収監されたにもかかわらず

言葉を巧まずして申し上げれば

 「イタリア人って

  アホなのかしら」

  (誤解しないでください。

   良い意味での「アホ」なのですから。)

ぐらいに陽気なの。

 

 

退廃的

自堕落

そのくせ

陽気過ぎ

 

 

だからこそ

この男たち(シャシン)を愛する

『信者』がいるのでしょう。

 

 

って・・・

 

 

最初の出だしから

敢えてロード・ムービーかと思わせる手法

コレは憎い演出。

 

 

でも全体を通してみれば

極上のエンターテイメント。

 

 

最初から最後まで

冗長な部分がありません。

 

 

どっかの日本映画みたいに

 

唾棄したいほどに安っぽいヒューマニズムの押売り

 

シーンの挿入、そんなダルさは微塵もありません。

 

 

刑務所内での無駄話が続くシーンだって

その後のイタリア人投入(笑)でボルテージを上げていくための

アイドリング。

 

 

そう、映画は乾いていなければ

観客が感情移入という「慈雨」を

降らせることはできませんもの。

 

 

 

ころで・・・

 

 

 

刑務所内での無駄話のシーンの重要性を分かっていない

 「つまらない」

  あるいは

 「冗長だ」

という意見が散見されます。

 

 

アザゼルは、この意見には同意いたしかねます。

あの無駄話こそ、ストーリー展開において、非常に重要なファクターなのですから。

 

 

閉鎖された牢獄という空間。

他人との距離は、日常生活のそれとは異なり

否応なく(1mも離れることができずに)接近することを強要されます。

 

 

このような空間に押し込められたケースで

対人関係を構築するために必要なものは何か。

 

 

しかも、およそ三者の間に共通の興味などは見当たらない。

だからこその「コミュニケーション」の道具としての無駄話

 

コミュニケーションが取れているからこそ

 「相互信頼」

が生まれるのです。

 

 

コミュニケーションで重要なことは

相手に対して「私は貴方の敵ではない」と理解させること。

 

 

背景もバラバラな3人の間で

「コイツは・・・

 まあ敵じゃないし

 信頼しても良いかな」

という(関係性は弱いけれど)信頼関係を構築するためには必要な儀式。

 

 

しかも、このシーンがあるからこそ、特にイタリア人が登場してからの展開には必要不可欠。

母国語が異なるからこそ、勘違いしたままのコミュニケーションの妙味も味わえるのですから。

 

 

この、弱いかもしれないけれど、この信頼関係が試されるシーンが早々に登場。

脱獄したのは良いけれど

イタリア人が

 「泳げないから川を渡れない」

と嘆き、2人が見捨てかけたとき

結局、彼らはイタリア人を助けに戻ってきたでしょ。

 

 

信頼関係が構築されていなければ、確実に見捨てられていましたぞ。

おかげで、その2人はイタリア人に助けてもらうわけですが・・・

 

 

 

 

そして何より・・・


ラスト・シーンが素晴らしい。
コレですよ、コレ。


このラストこそ

 「乾いている」

それなのに

 「何故だか希望に満ちている」

そんなアンビバレントなイメージの洪水。

 


「じゃあな」

と、オイオイ、それだけ?

とまで思わせるほどのサラッとっした別離。

 

 

脱獄直後の逃避行中の沼地のシーンでは

喧嘩した二人が別々の道を進んでいたのに

ともに脱獄したイタリア人の焼くウサギの肉の匂いにつられて元通り。

 

 

しかし・・・

 

 

今度はもう、あのイタリア人はいない。

もちろん、喧嘩なんかしていない。

 

 

笑って別れていくからこそ

生涯、会うことも無いであろう別れであることを暗示。

乾き切ったイメージを保ったままの終幕。

 

 

素晴らしい・・・

 

 

何故かって?

 

 

 『出会いは偶然だけど

    別れって必然なんだ』

 

 

離婚を経験した方なら・・・

皮膚感覚でヒリヒリするぐらいに分かってくださいますよね。

 

  

 

てさて・・・

 

 

 

出演者のうち、将来、裏社会の大物になる夢を見ていた

どうしょうもないポン引き役のジョン・ルーリーさんは

 

 

本職は俳優ではなく、ジャズの演奏家

ときどき役者もやってる、そんな感じ。

 

 

このシャシンの底流に流れている音って、

紛れもなく南部系のジャズそのものである。

 

 

それが理解できれば

この配役が申し分の無いものであることが分かりますよね。

 

 

そして、事実上の主役、どうしようもない自己破滅的なDJ

それを演じているのが、トム・ウェイツさん。

 

 

コレを聴いて、AmazonでCDをポチったのは秘密です。

 

 

最後は

底抜けに陽気なイタリア人役

ロベルト・ベニーニさん

 

ライフ・イズ・ビューティフル

で主演・監督・共同脚本を務め

外国語映画でありながら、アカデミー賞史上

唯一の主演男優賞を射止めるという大殊勲を上げ

自他ともに認める大俳優となったのです。

 

 

ついでにラスト・シーン

 

 

 

 

余談ではございますが・・・

 

 

モノクロで撮られたシャシン

って、イイですよねぇ~

それだけで、画面そのものが乾いていて挑発的なんですもの。

 

 

表現したい。

でもシャシンは、自己満足では決して完成しない。

観る人間が必要。

 そして

観た人間から共感を引き出さなけれなならない。

それが作品の意図から全く異なるものであったとしても。

 しかし

観ようとする人間にも、ある種の「教養」が必要。

何も知識が無い有様では、理解などできようはずがないから。

 

 

シャシンは

 撮る側にも観る側にも

  その姿勢が問われるのだ

 

 

そのことを知らしめるには

とても良い作品だと思います。