xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「八岐の園」を読み直す ~褒めるべき適切な表現が見つからないほどの名品  哲学的であり、物理学的であり、宗教的ですらある~

伝奇集 (岩波文庫)

 

 

逃げるように田舎から出てきちゃったはずなのに・・・

東京に全く馴染めず、引きこもり続けた、寂し過ぎる10代

 

 

ギリギリ留年しない程度の惨めな成績・・・

進振では、降年を避けるためだけに定員割れのコースを探すバカ

 

 

何一つとして興味の無い専門課程・・・

食べログTOP500の日本料理店を食べ歩くだけの無意味な日々

 

 

大学に絶望しちゃって・・・

全共闘時代なら「日本赤軍」に入っちゃっていたかもしれません。

 

 

 

その一方で。。。

 

 

 

ウンベルト・エーコさんの「薔薇の名前」に感動しちゃって・・・

終末思想への憧憬を覚えたり

イリヤ・プリゴジンさんの「混沌からの秩序」に触れて・・・

大学で学んぶことに意味を見出せず、中退しようかとマジで悩んだり

 

 

 

そんなとき。。。

 

 

 

今回取り上げる作品に・・・

出会ってしまったんです。

 

 (#^.^#)

 

 

これほど巧みに「時間」に関する哲学的思考実験を練り込んだ小説形式の作品を、アザゼルは知りません。

 

時間とは何か?」

 

極めて哲学的であり、力学的であり、宗教的でもある、最重要クラスの論点を、イメージすらできない表現で容赦なくぶつけてくるのは素晴らしいと思います。

本質的に「時間」はイメージできるようなものではございませんもの。

 

 

 

「時間」は可逆なのか?

 言い換えれば

「時間」は反復可能なのか?

 そして

可逆性(反復可能性)は無限に可能なのか?

 さらに

空間内における時間軸は絶対的に安定なのか?

 そもそも

時間軸は非―対称的なものなのか?

それとも、対照的あるいは円環系なのか?

 

 

「時間」という問題に取り組むと・・・

物理学領域にとどまらず、自ずと哲学的あるいは宗教的側面をも有し始めるのが面白いですよねぇ~

(この点は学際領域のことを述べたいのではございません。

 力学における「時間」の定義は、物理学領域において厳密に完結していますので。)

 

 

例えばね、もし時間軸を

「過去」 ⇒ 「現在」 ⇒ 「未来」

という直線であると主張した場合・・・

 

「過去」とは何か?

という問いに対して

「過去は記憶である」

なんて解答しちゃうと・・・

「過去は捏造可能である」

と解答しているのと同じ。

 

 

だから、バートランド・ラッセルが考案したという

「世界(全宇宙)は5分前に創造された」

という有名な仮説(ロジック)を否定できない状態に陥っちゃう。

 

 

私が「昨日」存在した証拠は・・・ドコにある?
私の「記憶」だけではない、様々な「記憶」と「記録」が、私の存在を支持するって?


でも、それらがすべて「捏造」されたものなら?
でも、世界そのものが「仮想」空間に構築されたものなら?

 

 

ココでチト見方を変えて・・・

時間を空間と不可分のものであると考えるとともに

 

「時空は

 不変不動のものではない」

 

と考えてみませう。

別に、ブロック宇宙論っぽい話をしたいわけではございません。

 

 

「時間」なんて、見方を変えれば、決して不変不動のものではない。

 

それどころか・・・

 

時間は、無限に分岐し、収斂し、並行する

時間は、めまぐるしく拡散する網目模様を描く

あるときは相互に接近し、瞬時に分岐し、はたして交錯する

もしくは、永久に交差することなく、すれ違いのまま終わる

 

時間の網は、あらゆる可能性をはらむ

しかし、私たちは、その大部分に存在することができない

 

ある時間に、貴方は存在し、私は存在しない

他の時間に、私は存在し、貴方は存在しない

 

ホントは・・・

 

「現在」という直感に依存せざるを得ない時制は存在しない。
「過去」という記憶に頼らざるを得ない時制も存在しない。
「未来」という期待を拠り所とせざるを得ない時制も存在しない。

 

 

 

「意味分かんねっ!」

 

そう感じたのなら、むしろ、シメタもの。

書店で一度手に取り、お読みあせばせ。