日の丸君が代の強制がこのような意味合いを持つ中でそれに抗しないということは、大げさに言えば、自由や人権、民主主義、寛容な多様性社会、と言った近代の崇高な理念を自分が否定してしまうように思えるのです。
国歌と国旗は諸外国では自然発生的に生まれたり、国民が自由と人権を勝ち取っていく中で生まれたりしたものが多いですが、極右国粋主義、ファシズム、拝外差別のシンボルが国旗、国歌だなんて、そんな国、日本以外にあるんでしょうか。
アザゼルにだって、筆者が何を言いたいのか、それぐらいは分かります。
もっとも、筆者の心情には微塵も共感いたしませんが・・・
リベラルを気取るのなら、もう少しスマートに振る舞った方が良いのではないかしら?
いたたまれない気持ちの悪さを感じたとしても・・・
「そんなじゃ、
何も変わりはしないんだよっ!」
と、節操も無く汚らしい言葉を並べて叫んだところで、選挙結果が民意なのですから・・・
いたずらに声高に叫べば叫ぶほど
「弱い犬ほど、よく吠える」
って感じになってしまう気が・・・
しちゃうんです。
そもそも。。。
リベラルと称される政党が政権を獲ったら、国民生活は豊かになるのか?
戦争反対!
原発反対!
独裁反対!
格差反対!
というのも結構だけど・・・
絵空事ばかり並べられても、説得力なんか生まれるわけがありませんもの。
政治は結果がすべて
アザゼルは刹那的な考えに拘泥する気は無いのですが、悲しいかな、リベラル派が描く未来なんて、空想の世界にしか思えないんです。
「親の代より豊かになれない私たち」
は、理念では腹は満たせない、ことを全共闘時代の団塊の世代なんかより遥かに皮膚感覚で理解しているんです。
フランス革命時、フランスでは本当に自由な社会を現出できたのか?
文化大革命時、中国では本当に平等な社会を造り上げられたのか?
国会の前で騒ぎたいのなら騒げばイイ。
アザゼルには、そんな暇は無いんです。