xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

現法王の御名が「フランチェスコ」(フランシスコ)であることの意味 ~アッシジのフランチェスコという人間がもたらした、一粒の灯り~

 

 

米国西岸の都市「サンフランシスコ」

この都市の名は「聖フランシスコ」に由来し、聖人の名をそのまま冠しています。

 

 

キリスト教圏では「フランチェスコ」(フランシスコ/フランシス)という名は、今でも一般的に人名に用いられますが、現法王が法王名にこの名を使用したのは史上初めて。

法王の歴史(※ローマ司教以来、約2000年)は、我が国の天皇の歴史(※歴史学上、約1500年)を大きく超えており、その中にあり、敢えて、この名を法王名として選んだことの意味は、考えるに値するものでしょう。

 

※現法王(日本カトリック協議会では「教皇」)の御名の和訳は

 「フランシスコ」が正式です。

 これは「アッシジのフランチェスコ」との混同を避ける必要が

 あったからとされています。

 また「フランシスコ1世」という表記は誤りです。

 (日本のカトリック教会自身、当初、間違えていたのは・・・

  秘密です。)

 

法王(聖座(法王位)に着座する前の名前 ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)のご両親は、ともにイタリアのお生まれ。

法王ご自身はアルゼンチンのお生まれですが、イタリア系移民の子という顔もお持ちなんです。

 

 

生来、お体は弱く、さらに経済上の事情などもあり、小学校をお出になると、いわゆる丁稚奉公のような形で働きに出ざるを得ませんでした。

その後、修道会が経営する学校を経て、ブエノスアイレス大学で学位を得るに至ります。

 

 

ご卒業後、イエスズ会に入会。

神に仕える道に、その一歩を刻まれました。

 

 

その後、彼が一貫していたのは「貧しい人々のための教会」を目指すということ。

事実、司教に叙階後も、枢機卿に任命後も、住んでいたのは教会近くの安アパート。

 

 

この姿勢は、法王になった今も何ら変わってはいません。

法王が自身の手で運転する公用車は、新車時の価格でも200万円しない車を中古で手に入れたもの。

 

 

法王は聖職者の贅沢ぶりを強く批判します。

「聖職にある者に、贅沢など必要ありません。

 もし、どうしても贅沢がしたいというのなら

 今この時、世界中でどれだけの人が餓死しているか

 それを考えなさい。」

 

 

 

さてさて。。。

 

 

そんな法王が自らの名とした、アッシジのフランチェスコ

12世紀から13世紀にかけて生きた修道士であり、中世イタリアを代表する聖人。

 

※なぜ彼が「フランチェスコ」(フランス人)と

 呼ばれるようになったのか・・・

 諸説が入り乱れ、正確なことは分かっていません。

 ちなみに、彼のお母さんはフランスのご出身です。

 


彼は当初、騎士になろうと考えていたんだとか。

その理由は、アッシジの地も中世イタリアの運命のとおり、戦乱に明け暮れていたからでしょう。

(彼は戦争捕虜として1年にも及ぶ監禁生活も経験しています。)

 

 

ところが、突如として考えを改め、新約聖書にあるとおり、イエスの命に従い、使徒たちと同じように行動することに決めたんです。

使徒の仲間となり、イエスと歩んでいた彼らといっしょに時を過ごすのだと。

 

 

そんな彼が、ともに歩むべき仲間に求めたの

「それが誰であろうと

 真のキリスト教徒に必要なものは、

 ただただ、福音の言葉のみ。

 神の子たるキリストの足跡をたどることだけだ。」

(これを『裸のキリストに、裸で従う』と表現します。)

 

 

ただし、言葉で言うのは容易いのですが、実践することは決して容易なことではありません。

当時のイタリアにおいて、聖職者もしくは修道士以外の者が教えを説くことなど絶対に許されることではなかったため。

 

 

彼は後に助祭になるんですが、聖者としての役割を果たした時期のほとんどは

 平信徒

として過ごしているんです。

中世において、ただの平信徒が教会の許可なく教えを説くことなど、まさに自殺行為に等しく、極めて危険な行為であったといえます。

 

 

中世イタリアにおいて、教会に逆らえばどうなるものか・・・

にもかかわらず、命懸けの実践を、彼と彼の賛同者たちは嬉々として行うんです。

 

 

教会という『装置』のなかった原始キリスト教時代、特にイエスが生きていた時代

 世界にキリスト教の聖職者も修道士も一人もいなかった

この事実は、非常に大きな意味を持ちます。

教会が存在せずとも、信仰のみにてキリスト教は成立し得るのですから。

 

 

福音書に書かれたイエスは、使徒に向かって、こんな風に述べます。

「さあ、行きなさい。

 そして「神の国は近づいた」と伝えなさい。

 あなた方が受けとったものは、そのまま与えなさい。

 金貨も銀貨も持ってはいけない。

 旅のための袋、替えの衣、履物、杖・・・

 そのようなものも、持って行く必要などありません。」

 


エスが命じていることをそのまま実行すること・・・

すなわち、これが「裸のキリストに裸で従った」ことの意味なんです。

 


この時期に登場するフランチェスコ会ドミニコ会

当時の托鉢修道会は、(聖職位を持たぬ)平信徒による運動ではあるが、むしろ、それ故に教会の様々な規則や因習に縛られず、より純粋な形で福音書の教えを実践できるということを示しているようにも思えてきます。

 

 

強烈なまでの信仰心に突き動かされ、福音書に書かれた内容を実践せんとする平信徒たちの願い。

教会は、かような動きを教会に敵対する勢力であるとみなし、常に「異端として断罪」していたんです。

 

 


しかし。。。

 

 

 

このフランチェスコによる大いなる試みに対し、世間から聖人視され、支持層が広がるにつれ、教会は頑な態度を改め、この新しい潮流を自らに取り込むという選択を行います。

フランチェスコは、ついに法王との会見を成就させ、夢のお告げによって彼の運動が承認されるという、まことに「奇跡」と呼ぶしか表現のしようのない出来事によって実現へと結実。

 

※当時の法王がインノケンティウス3世。

 西欧において、法王権が最高潮に達した法王としても有名ですよね。 

 

 

特権階級が知識を独占していた時代、聖書の言葉はラテン語に限られていました。

平民には理解できない言語であるために、聖職者たちだけが「神の言葉」を独占。

 

 

フランチェスコらは、ラテン語ではなく、イタリア地域の住民なら誰でも分かるイタリア語で、しかも、楽しい音楽付きで教えを説いたのです。

彼が行った業績の中でも、このような知識の独占状態を打破しようとした行いは、言葉を幾ら尽くそうとも、称賛しきれるものではございません。

 

 

 

ところが。。。

 

 

 

フランチェスコは、教会に認可され、制度として確立していくフランチェスコ会に馴染めず、当初の強烈な願いと想いに忠実たらんと欲したのです。

自らの運動が修道会として確立していくという嬉しさの一方、その修道会が教会制度に取り込まれ、自身の心の叫びを容赦なく裏切っていくことを受け入れるしかないのに・・・

 

 

同時期に登場したドミニコ会は、フランチェスコ会とは、そもそもその役割も方向性も異なります。

中世には、教会から異端としてみなされた諸勢力(特にカタリ派)との教義・教理上の戦いがあり、ドミニコ会は、その戦闘集団として先鋭化して「部隊」だったんです。

 

 

そのためには、知識という名の武装が欠かせません。

知識を得るためには、どうしても書物が必要になるわけですが・・・

 

現代のようにネットでググればOK!というわけにはいきませんから、書物がどうしても必要にあるものの、当時は書物は非常に高価なもので、これを手に入れるためには、多額の金銭を必要としたのです。

一方のフランチェスコ会では、金銭に手を触れることすら忌み嫌うという状況。

 

 

フランチェスコ会では、高価なものである書物を所有すること自体、所有欲を捨て去るため、一切の物を捨て去り、清貧の中に生きる、という理想に反するものだったわけ。

例えば、生きるために必要なだけの食べ物しか受け取らず、余分な食料を一切所有しないという徹底した禁欲生活を送るため、次の日に食べる豆を前の晩に水に浸すことすら禁じられていたといわれています。

 

 

フランチェスコの生涯に関する逸話には、当時の彼が置かれた矛盾が、露骨ではないにせよ、見え隠れしていることは、おそらく間違いはないでしょう。

 

例えば、有名なところでは・・・

 

ローマを訪れたフランチェスコが一所懸命に説教しても、ローマの市民は誰も耳をかそうとはしませんでした。

絶望感に打ちひしがれたフランチェスコは、野の動物や空を飛ぶ鳥たちにキリストの言葉を告げに行くといって、人々を戸惑わせたんです。

 

もっとも逸話によれば、彼が自分の話を聴くよう鳥たちに求めると、すぐに鳥たちは彼に従ったと伝えています。
何の話なのか理解できないかもしれませんが、動物たちと話が出来る、ということは、いわゆる「原罪」以前のアダムの状態に戻るということを意味しているんです。

 

これは、すべてを捨て去ることを是とする者たちにとっては、非常に理想的なイメージを創り上げていったことを意味します。

逸話の一つ一つが、フランチェスコの聖性の高さを示すものとなっていることを理解しておく必要があるでしょうね。

 

 

フランチェスコが死の直前に受けたという「聖痕」が、もちろん伝説ではあるにせよ、彼の聖性の高さを演出するためのものではあったとしても、彼が実践せんとした行為、そして思想の気高さを貶めるようなものには成り得ないでしょう。

だって、フランチェスコ自身が復活したキリストであると述べているのですから。

 

 

もし、聖痕が「神の子」であることを証明するための刻印であるとするならば、フランチェスコの聖性は他の誰にも到達できない完璧なものにしてしまったことになります。「肉体」という物理的存在に、イエスが負った傷をそのまま帯びることになるんですから。

 

 

 

ところが。。。

 

 

 

世間においてフランチェスコの聖性が高まれば高まるほど象徴化が進み、フランチェスコ会では創始者であるはずのフランチェスコが残した純粋性(信仰生活への回帰)を残す義務から解放することとなったのは、皮肉というより、フランチェスコの置かれた立場の矛盾性に起因するものかもしれませんね。

 

 

 

翻って。。。

 

 

 

現法王も、その保守性と新進性の矛盾を問われていたりします。

特に、聖職者による信者の性的虐待(少女に対するレイプ等)への対応、同性愛や堕胎への対応について・・・

 

 

 

純粋に聖性を求めれば求めるほど、自ずと現実との矛盾が露呈してしまうことになります。

これはもう、避けようの無いことなのかもしれません。

 

 

しかし、それでもなお、理想を追い求める「想い」を忘れることなく実践することこそ、そして、その姿勢にこそ、私は感動を覚えるのです。

表層的な美しさを追い求めるのではなく、例え、いびつであっても・・・