xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

新日本プロレス : 男子、三日会わざれば、刮目して見よ! ~素晴らしい記事を紹介しちゃうぞ(*´▽`*)~


 

スッゴク乱暴にまとめちゃうと・・・

 

 

『 柴田さんも

  棚橋さんも

  中邑さんも

  真壁さんも

  内藤さんも

  チャラチャラした、パクリばっかりのまがい物

  こいつら、みんな、大嫌いだっ!! 』

 

 かつては、そう感じていたはずのに・・・

 気付けば、彼らは素晴らしいレスラーになっていた。

 

 

というもの。

 

とても興味深い内容で、何より正直に心情を吐露されているところに好感が持てます。

是非、ご一読あれ。

 

 

 

さてさて。。。

 

 

 

アザゼルは思うんです。

 

藝術とエンタテイメントとの決定的な差異は、感動を観客との間で分かち合うモノなのかどうかという点。

 

藝術において、観る者の視点を重視する作品なんて、所詮は駄作。

なぜなら、藝術は作家だけが存在すれば成立するものだから。

感動なんて、展示会などに来場した者が勝手にやればいい。

 

一方、エンターテイメントの場合、感動は演者と観客の間で発生する。

そもそも、演者だけではエンタメとして成立することはあり得ない。

エンタメは、演者と観客が一体となって作り上げるものだから。

 

 

 

でね。。。

 

 

 

今回取り上げさせていただいた記事の対象は、いうまでもなくエンタメ。

 

ブログ主さまは、

 

 かつて大嫌いだったレスラーが

 素晴らしいレスラーへと変貌(成長)していた

 ∴ かつての評価を見直した

 

と主張されるんですが・・・

 

 

本当にそれだけなのかしら?

 

 

エンタメの本質に立ち返って解釈してみれば、過去そして現在も、観客という立場にある「ブログ主」様ご自身も、誠に僭越ながら、実は変貌されたのでは?

 

いつまでも「過去」にとらわれた見方しかできないままなら、

「棚橋なんか、武藤の劣化コピー

で終わっていたでしょうから。

 

ブログ主様だって、実は

『男子、三日会わざれば、刮目して見よ!』

といえる存在になっていらしゃった、ということでしょう。

 

 

 

まぁ。。。

 

 

 

「過去」は変えられない。

でも、「過去」は終わった「物語」

 

いつまでも、「物語」ばかりに拘泥していても仕方ないと考えるのか。

それでも、「物語」は真実だと主張して「現在」まで否定するのか。

 

ほら・・・

なんとなく、海の向こうの国との論争っぽくなっちゃうでしょ

(* ´艸`)クスクス

 

 

どちらの見方が正しいの?

 

 

そんなことは他人が云々するようなものではありませんよね。

ただ、その価値観を他人に押し付けようとするのは・・・ご勘弁。

 

アザゼルが、ターザン山本さんのブログなどをよくネタにするのは、

かつて自分が栄光の座に座っていた「物語」に拘泥するだけでなく、

その価値観(昭和プロレスなる「過去」)を容赦なく押し付けくるから。

 

ターザン山本さんは、ブログ等で

「過去は過去だ!

 終わった話だ!

 そんなものに拘泥している奴は馬鹿だ!」

みたいな主張を頻繁になさっていらっしゃるんですが・・・

 

アザゼルからすれば、それこそが「過去」に拘泥している証左。

でも、それが必ずしも悪いことではありませんし。

 

日本という国家自体、現在まで天皇制を維持してきたのは、「物語」を非常に大切にしてきたという歴史的事実なんですもの。

 

ある意味、日本人らしい日本人・・・

ってわけないか、ターザン山本さん

(;^_^A