xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

民主主義を信奉しない政治体制では、殺人犯すら国家の都合で決められる ~脆弱ではあっても、欺瞞に満ちたものであっても、私たちは「民主主義」を擁護すべきなのか~


 

もう、お忘れでしょうか?

金正男氏の暗殺事件のことを。

 

このまま裁判が進めば、あの女性2人だけが殺人犯として死刑に処される。

そして事件は、永遠に闇へと葬り去られる・・・

 

due process of law

刑罰を受ける場合には、その大前提として、あらかじめ法に基づく適正な手続を受ける保障がなされていなければなりません。

そんな当然だと思える原則ですが、残念ながら、我が日本においても、十分とは言いかねる部分があることを知っておくべきでしょう。

 

そして、対外的には民主主義体制をうたいながらも、その実態は、政治批判を行うことが身体的危険性を伴う「事実上の独裁」国家がアジアには少なくないことも理解しておくべきかと存じます。

そのような国家では、権力者にとって都合の悪いことは、絶対に許容されることはありません。

 

アザゼルだって、ヒトラー総統を称賛していたじゃん!』

 

誠に失礼ながら、この程度のレトリックも容易に見抜けないようなら、ネットで情報を漁ることなど早々にお止めになられた方が、ご自身のためによろしいかと存じます。

一体何処の世界に、自己の身体および財産に対する危険性をいたずらに増大させることが自明である政治体制を喜んで受け入れる阿呆がいるというのでしょう。

 

覚えていらっしゃいますか?

かつてチャールズ・ブコウスキーが書いた言葉を。

 

『「いい奴」と「悪い奴」がいるというのか?

 「いつも嘘ばかりついている奴」と「絶対に嘘をつかない奴」がいるというのか?

 「良い政府」と「悪い政府」があるとでも言うのか?

  違う!

 「良い政府」などというものはない。

 あるのは「悪い政府」と「もっと悪い政府」だけだ。』

 

そのとき彼は、この言葉の前段で「ヒトラー総統」をあたかも称賛するかのように嘯いた。

アザゼルの胸の中には、ブコウスキー(の作品)への憧憬が、山火事の後で微かに燻り続ける残り火のように、今もって消えてはおりません。

 

亡きブコウスキーが残していった視点。

社会の底辺から仰ぎ見る政治体制あるいは権力者たちへの徹底した不信。

 

絶対に嘘をつかない人間など、何処にも存在しない。

そんな人間たちが作り上げた社会が、噓と欺瞞に満ち溢れているのは、むしろ当たり前のこと。

 

人間という出来損ないの存在ではあるけれど、それでもなお「生きる」ことへの喜びと希望を見出していかなければならない。

それが・・・如何に困難な試みであったとしても。