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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「死してなお踊れ 一遍上人伝」(栗原康)を読む ~行くぜ極楽!唱えろ念仏!すべてを捨てて踊り狂えぃ!~

 

死してなお踊れ: 一遍上人伝

死してなお踊れ: 一遍上人伝

 

 

 

栗原さんはアナキズム分野の専門家。

思想的にはアザゼルと真逆の研究者。

今は田舎で非常勤職にありついてる。

 

彼の文体には独特のフロウのようなものがある。

彼が意図的かつ一貫して保持しているスタイル。

 

短文主体で、共産趣味っぽいプロパガンダが咲き乱れる。

敢えて痴呆っぽくみせるために、やたらと平仮名を多用。

アジテーションが大好きで、直情的でありフザけている。

 

この手の文体は、嫌いなヒト8割、好きなヒト2割。

「8:2の法則」がそのまま当てはまりそうな文体。

 

文体からして、割り切っている。

読みたい奴だけ読んでくれって。

ヤケクソなアヴァンギャルド(笑

 

 

さてさて。。。

 

 

そんな彼が、全世界の「踊念仏」ファン(←いるのか?)のために書き下ろしたのが、この作品。

困ったことに・・・この作品、マジで面白いんです。

 

『革命は、自己犠牲を強いたとき、革命でなくなる』

 

だから、彼のこれまでの政治学分野の作品では、

現在の政治体制を、政治思想を、拝金主義をどこまで批判しようとも、

自ずと限界というものを内包しているが故に、王手をかけることができなかった。

どうしても「割り切れなさ」(できるわけねーじゃん)から脱却することができなかった。

 

 

ところが。。。

 

 

ほとんどの日本人が日本史の教科書でしか知らない、

知っていても名前と踊念仏という言葉ぐらいしか知らない、

そんな「一遍上人」を対象に据えたとき、上記の問題は氷解した。

 

もう限界は無い。

もう遠慮する必要などない。

あるのは「念仏」と「極楽」だけだ。

 

宗教学者ではなく、アナーキストが「一遍上人」を語ると、

こんなにも面白いものへと変貌するのか・・・

 

一遍上人

すべてを捨てる!

その言葉に嘘はない。

全裸になって踊り狂う。

 

男性器だって隠しゃしないぜ。

ひたすら念仏を唱えて踊り狂う。

「捨聖」の名前は伊達じゃないっ!

 

 

 

うぅ~ん、コレ・・・

困るんですよねぇ~

 

彼のコト、好きじゃないのに

作品としては素晴らしいから

 

お断りしておきますが、読了後、何かを得られる本ではございません。

捨てること、ひたすらに捨てること、その意味を知ることはできても。

 

 

生ずるは独り

死するも独り

共に住するといえど独り

さすれば

共にはつるなき故なり

 

 

難しいことなんか要らないよ!

さぁ一緒に唱えよう、念仏を!

 

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

 

コレで貴方も極楽行き、確定!

バンザーイ! バンザーイ!

(レスラーの後藤さんのフロウで(笑))

 

 

( ̄▽ ̄;)