xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「至聖三者」(アンドレイ・ルブリョフ) ~宗教画の最高峰を味わう~

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Andrej_Rubl%C3%ABv_001.jpg

 

 

映画「アンドレイ・ルブリョフ」(監督:アンドレイ・タルコフスキー)をご覧になった方なら、この宗教画の価値をお分かりいただけるはず。

 

 

そして。。。

 

 

絵画を鑑賞するとき、描かれた時代的・政治的・文化的な「背景」を理解せずに理解することなど、全く不可能であることも同時にお分かりになったはず。

 

 

ただ。。。

 

 

この「至聖三者」

実は、本当にアンドレイ・ルブリョフの手によるものか否かは、今もって分かっていません。

 

しかし、彼に遅れること500年以上の時を経て、芸術まで徹底的な規制の網をかけた超管理国家であったソビエト連邦にあって、ロシア・アヴァンギャルドで異彩を放ったマレーヴィチの2つの作品を眺めたとき、アザゼルには、言葉では表現できない「親和性」を感じるのです。

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/57/Malevich.black-square.jpg

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/56/Kazimir_Malevich_-_%27Suprematist_Composition-_White_on_White%27%2C_oil_on_canvas%2C_1918%2C_Museum_of_Modern_Art.jpg

 

マレーヴィッチは、絵画の暗黙の了解であった「対象」を放棄することで一つの到達点を示した。

「至聖三者」は、宗教画の暗黙の了解であった「神」を描くことを拒否して、その神聖性(三位一体)を天使という具象に託すことで一つの到達点を示した。

 

方向性どころか、目指すところは真逆であるはずなのに、どうして、ここまで構成が似てしまうのでしょう。

マレーヴッチは、イコンを超える芸術表現として「無対象」に到達したともいわれているけれど、結果的にイコンの最高峰と似通った精神性に至ったということなのでしょうか?

 

高みに至ろうとすればするほど、不要な装飾を取り除き、純化させる行為が必要になる。

あるいは、

「取り除く」

   のではなく、

「見えないように覆い隠す」

必要が生じるのかもしれません。

 

時代を超えた共通性

 

アザゼルには、こういうモノをみつけると

鼓動が鳴るともうしましょうか、ゾクゾクしてくるのです。

 

 

 

※所詮は、素人の勝手な思い込みです。

 美術史的に無意味・無価値なモノであることは言うまでもございません。