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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

旧約聖書について : チットご留意を・・・ ~まぁ、コンナもんかなってことで~

アザゼルです。

 

プロレス・ネタではございません。

ご興味の無い方は、ココでお帰りくださいませ。

 

旧約聖書」ネタでコメントを頂戴したことで気になったのでお書きいたします。

反省を込めて・・・

 

面白い、とご評価いただいたことは嬉しいのですが、アザゼルの手によるゴミのような駄文をもって旧約聖書を読んだような気になるには、絶対にお避けくださいませ。

聖書、特に旧約聖書は、その解釈が多様に可能であり、アザゼル如き者が行っている解釈など、鼻でお笑いいただければ十分すぎるほどに十分です。

 

 

と申しましょうか。。。

 

 

アザゼル自身、自分で書いておきながらオカシイのですが・・・あのような解釈が正しいなどとは、思っていなかったりするのです。

だって・・・悪魔ですから(!自爆!)

 

例えば、古ヘブライ語で書かれた旧約聖書には、「動詞」が存在しない文章が頻繁に出てまいります。

そのため、その文章が「イイタイコト」は何か、読者自身が補う必要が生じます。

 

聖書を実際に手に取られたことがおありなら、英文の中に " is " のように斜体文字になっている動詞を容易に見つけることが出来るはずです。

これは強調を意味するものでは決してなく、

『原典に動詞が無かったので、この翻訳聖書では、原文をこのようなことを言いたいのであろうと解釈して「is」を補いました』

という意味です。

 

つまり。。。

 

その解釈が間違っている可能性を否定することはできないのです。

それどころか、「キリスト教」を名乗る某教団あるいは宗派によっては、原典にはない『明らかな捏造』を行っている偽聖書を、「これこそ真の聖書」だと称して平然と売り出していたりします。

(※揉めるのはイヤなのでドコとは申しませんが・・・ドコとは・・・)

 

 

しかも。。。

 

 

ヘブライ語ラテン語→英語(しかも複数回にわたり改訂)→日本語に翻訳されたような聖書が、果たして原典に準拠して正しく翻訳されているのかどうか・・・

よほど慎重に翻訳されたものでなければ、軽々に信用することは避けるべきだと思います。

 

キリスト教には縁の無い方はご存じないかもしれませんが、現在市販されている聖書は、どれも同じではありません。

異なる解釈が採用されているケースが存在するのが当たり前だとお考えください。

 

(補足)

最も格調高いと評されている欽定訳聖書(1611年版/1895年改訂版)では、ヘブライ語およびギリシア語(注:新約聖書の原典はギリシア語で書かれています)の原典より直接翻訳したものであると、その序文にあります。

しかし、聖書研究の成果により、実際には当時すでに先行して存在していた英語訳聖書に相当程度依拠していたことが判明しています。

欽定訳聖書が最も正しい云々(注:「でんでん」ではありませんよ、安倍首相(笑))と臆面も無く書いてあるものが存在しますが、騙されてはいけません。

 

 

あと。。。

 

 

ご批判を承知で書いてしまいますと、大学院で学んでいないレベル、ヘブライ語を読み書きできないレベルの牧師さんの説教をドコまで信じて良いのか・・・

各自の責任でご判断ください。

 

 

で。。。

 

 

じゃあ、どうすれば良いのかというと、とりあえず、岩波書店から刊行されている「旧約聖書」全15巻を手元に置きませう。

アザゼルの知る限り、翻訳者のレベル、脚注の豊富さ、という点において比肩し得るものは無いと思います。

 

5万円ぐらいはかかりますが、

「ホントを知りたい!」

というのなら、この程度の出費は、むしろお安いと思います。

 

図書館を利用する、という手もありますが、アザゼルは基本的に図書は購入して自分の手元に置くべくだと思っています。

 もっとも・・・一部屋が本で埋まるという、地獄が待っておりますが・・・

 (;^_^A