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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「エレガントな宇宙 The Elegant Universe 」(ブライアン・グリーン)を読み直す ~「超ひも理論」は、この『宇宙』を説明できるか?~

あらかじめ申し上げておきますが、この本、宇宙物理学系の生半可な知識でドーにか読みこなせるような「読者に優しい本」ではございません。

むしろ、この本を軽く読みこなせるという「強者」(ツワモノ)なら、一般相対性理論にも量子力学にも通暁されていらっしゃることでしょう。

 

Amazonのレビューでは、スラスラ読めて感動した・・・

 等のコメントが多数を占めているんです。

 この本に書いている内容を前にして、スラスラ読めて感動できるなんて、

 アザゼルには到底不可能です・・・(´・ω・`)

 

残念ながら宇宙物理学系とは畑違いのアザゼルにとって、この本の内容を理解できたとは・・・とても申せません。

ただ、この本には、浅学菲才のアザゼルさえも虜にする「魅力」を備えているのも事実なんです。

 

相容れない関係に立つと思われた「相対性理論」と「量子力学

その両者を如何に破綻なく統合できるか・・・・

難問中の難問に、数多くの者が挑み、挫折してきたことか。

 

彼らの前に立ちはだかるのは、「重力」という壁。

重力理論の量子化という、考えただけでアタマがクラクラしてきそうな問題。

 

「重力」を数学という武器を用いて正確に表現したい、という鮮烈な願い。

しかし、そのための条件は極めて厳密なものであり、証明を志す者の想いを悉く打ち砕いてきた。

 

チット脇道にそれちゃうんですが。。。

 

「バナッハ=タルスキーのパラドックス 」でもお分かりのとおり、数学的な正しさと世間一般的な常識では大きな隔たりがあることを、あらかじめ認識しておくことが肝要でしょうね。

数学的に正しくとも、世間一般ではとても通用しそうにない(理解してもらえない/一笑に付されるだけ)ことは、当然にあり得ることを念頭に置いておかないと、この本を読み進めることは困難ではないかしら。

 

それに・・・厳密さを要求される、ということは、何が説明でき、何が説明できていないか、を事細かに峻別していかなければなりませんよね。

これは数学に限ったことではございませんが、理論数学における厳密さは、世間一般のそれとは「異次元」のレベルにあることも、併せて理解しておく必要があろうかと思われます。

 

面白いことに、「説明できていない」ことを何とか「説明しようとする試み」によって、新しい理論(もとより仮説であって、証明できているわけではない)が誕生することが少なからずあるんです。

コレはもう、己の生涯を費やすに足る”ミステリー・ハンティング”(笑)

 

更に脇道に逸れちゃいますが・・・

世間には理論系の学問を小馬鹿にする傾向がみられますよね。

よくあるのが

「そんなもん、なんの役に立つんだ!」

って感じの発言。

予算配分のときだって(以下3,000字ほど自主規制)

 

アザゼルから言わせていただければ、世間でいう「役に立つ」かどうか(≒カネになるかどうか)なんて、ドーでもイイこと。

カネ儲けのための「実学」系ばっかりやっていると、視野が非常に矮小化され、数十年レベルの長期にわたる地道な研究なんか見向きもされなくなり、結果的に「学問」をやってんだか、企業での「研究開発」やってんだか、サーパリ分かんない状態に陥るだけなのに・・・

 

おっと話を戻して。。。

 

この本を読むためには、「超越理論」系(注:断っておきますが、怪しい疑似科学とか、某宗教団体が多用するようなデッチアゲの話ではございません(笑))の知識と理解が必要なんです。

だって、数学的な表現・説明として成功したといわれる「11次元」のような高次元空間の話がバンバン出てくるのですから。

 

そもそも「超ひも理論」に登場してくる「ひも」自体、物質であると同時に物質ではない、というシロモノ。

つ・ま・り、誰も実際に観たことなんて無い、あくまで理論上、存在することになっているモノ。

 

最小単位の「粒子」について、大きさを持たない「点」としてではなく、大きさを持たないが長さを持つ「振動するひも」として認識する・・・

こんなこと、よくもまあ思い付きますよねぇ~南部陽一郎さん。

 

さてさて。。。

 

無理やりにでも通読してみると、この本(原書)が上梓された1999年当時(もう17年も前の本!)の理論的最前線を俯瞰的に見れる(気に成れる)んです。

この点は、評価すべきだと思います。

 

果てしない『宇宙』(注:人間が観測な領域は、『宇宙』全体からみれば、ホンの僅かなものでしかない可能性が非常に高い。)という「極大」を説明するために、あらゆる物質を構成する『クオーク』という「極小」を取り扱わなければならない。

この極端さに驚嘆すると同時に、「大きいは小さい/小さいは大きい」みたいな・・・何かしら本質的なもの、つまり、神が宇宙創成時に残した設計図の一端に触れている気にもさせてくれる・・・っていうのもイイ!

 

そして。。。

 

何より面白いと思うのは・・・

「宇宙観」つまり「世界観」の次元から眺めてみると、これまで人間が有史以来、営々と築き上げてきた「世界の在り様」(これは「神」の問題そのものでもある)に、終止符を打つものとなり得るか?

ということ。

もし数式によって『宇宙』が完璧に説明することができたとするのなら、その範疇において、「神」の存在は不要となるのですから。

(もっとも・・・宇宙創成そのものに「神」が関与したか否かについては、おそらく永遠に証明不可能でしょうけれど・・・)

 

更に敷衍してみると(というより、敢えて理論的な飛躍を試みれば)人間の「ココロ」の問題も科学的方法によって表現できるのかもしれません。

そうなれば「哲学」への死刑宣告が行われることに等しい・・・

 

「私はだれ?」という根源的問題を扱うとき、「存在」という問題を避けることはできない。

そして、「存在」という本質的問題を扱うとき、「空間」と「時間」の問題を避けることはできない。

 

「時空間」あるいは「次元」の問題を扱うとき、「重力」と「場の統合」の問題を避けることはできない。

そして、その果てにあるものは、極大としての「宇宙」と極小としての「クオーク」を同時に説明できることである。

 

なんて魅力的な研究分野なのでしょう・・・

アザゼルには、その点こそが「エレガント」なのだと思えてくるんです。