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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

歴史の終わりは到来せず : 資本主義は存在意義を失い、時代は次のステージへと向かうのか? ~グローバル資本主義というグロテスクで下品な剝き出しの欲望が終焉を迎えるとき~

「長い消滅の入口に立つのか資本主義」法政大学教授 水野 和夫さんに聞く | 特集/資本主義のゆくえ

 

あれ?

水野先生、法政に移ったんですね。

Σ(・□・;)

 

さてさて。。。

 

今回のお題は、水野先生が得手とするところ(笑)

ブルクハルトによると、三つの「歴史の危機」があって、1回目はローマ帝国の崩壊(476年)から800年までの最初の危機の時代、・・・(中略)・・・

この3つの危機の中で一番深刻だったのがローマの崩壊で、東方から蛮族といわれる民族が、わたしたちもローマのようないい暮らしをしたいと侵入してきて、しかしそんなたくさんの人たちが豊かな暮らしができるわけがなくて、ローマが崩壊していったのです。

(中略)

シリアからの難民もドイツに行けば豊かになれると苦難をのりこえてやってくるわけです。

(中略)

受け入れる国の側はそんなに受け入れることができるわけがないので、深刻な危機が今起きているわけです。

(中略)

近代というのは神様を追放して、では何を中心に置くことにしたかというと、貨幣を中心において、貨幣をたくさん獲得した人が一応実力ある人だとして、その塊を企業と見なそうということで秩序を保ってきた。

それが、今でいえばグローバル企業といわれているアップル、アマゾンが世界の中心に位置しているわけですが、その中心にいる企業が税金を納めていないとか、いろいろと問題を起こしていますので、グローバル企業も尊敬の対象ではなくなってきているわけです。 

(中略)

資本主義というのは金利イコール利子率ですから、それがゼロになる、マイナスになるということは、すなわち資本が増殖できないということです。

(中略)

ゼロ金利というのは時間の我慢料がゼロになってしまったことです。
ベンジャミン・フランクリンの「時は金なり」ということがなくなってしまったということは、G―W―G’(資本の一般的定式)というプロセスがなくなって、もう資本主義でなくなったということでしょう。

これは時間の価値がなくなって、そうだとするともうゆっくり暮らしてもいいですよということです。

 チト引用が長くなりましたが、要点は太字にしたところ。

水野先生は、フランシス・フクヤマさんの「歴史の終わり」に反論を試みたと仰っていたと記憶しているのですが、サミュエル・ハンティントンさんの「文明の衝突」と同様に、そもそもの視点というか思考軸が異なるように思うのでござる。

 

ただ、資本主義が終焉を迎えると仮定した場合、その先にあるものは「ソビエト連邦」という壮大な実験が破滅的失敗に帰した社会主義であるはずがない。

もちろん、プロレタリアート独裁を叫ぶような共産主義でもない。

 

それは何か?

日本のような国民国家レベルを超え、世界規模での安寧秩序をもたらす思想・制度とは何か?

 

・・・全然分かりません。

っていうか、そんなもん見通せる人がいたら、それこそ「神」さまでしょう(笑)

 

もとより、国家の如何を問わず、政府与党は、未だ終息を迎えることのない世界経済の混乱について、景気循環の一局面に過ぎないと解釈したがるもの。

そうでなければ『根治できるような処方箋は存在しない』と宣言することに等しいから。

 

しかし。。。

 

「現代」という時代を支える経済構造の基本理念たる「資本主義」が大きく揺らぎ始めていると考えるのなら、この不安定さあるいは混迷は数十年あるいは世紀を超えて続く可能性があることを覚悟しておかなければならないってことになっちゃう。

次の時代への橋渡しとなる「地殻変動」の激しさは、むしろ、コレから増していくことを意味するんですもの。

 

人間の切り開く未来は果たして「今日よりも素晴らしい明日」を夢見る「進歩史観」を放棄せざるを得ないのかもしれませんね。

それでも「生まれてしまったものは仕方が無い」として、諦めて生きていくのも・・・そう悪くはないのかもしれませんし。