xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

温故知新(その17) 『リアリティー』とは何か? 〜現実と夢幻の境界のアヤフヤさ。そして、実はその境界線上にある「意識」というものについて〜

私は屋上で、裸で寝袋にくるまってキノコを食べた。
今度の幻覚は視覚的なものではなかった。


幻覚的な性質を帯びたのは私の感覚全体だった。
「 私自身」だとみなしていたものが、感覚的に基づいて作り出していた精神的構築物だと気づき始めた。

 

自分はこうだと思うように私は感じるだけだ。
すると、キノコの毒は別の可能性を見せ始めた。

 

気がついてみると、それまでの私は知性から出発して「これは手だ」「これは私の顔だ」「私は男だ」「これが私の限界だ」といったことを構築していた。
ところがいまは、何かが私にこう言っていた。

 

「お前が限界だと考えているものは、実は、お前のまだ知らない無限だ。
お前はひとりの人間以上の何かでありえる。」

 

夜が明けはじめた。
地球が自転し、太陽の愛撫にゆっくり表面を差し出して行くのが分かった。

 

光と熱を受け取る地球の喜びを感じ、絶え間なく命を植え付ける力を発揮する太陽の幸福と、そしてその周りには、虹色に輝く鉛のような、天空を渡る他の惑星や星々の歓喜を感じた。
すべてが生きていて、すべてが意識を持ち、すべてが爆発と誕生とカタストロフの間で踊り、瞬間の驚異に身を委ねていた。
それらは神秘的な錬金術の結婚だった。

 

(出所) 「リアリティーのダンス」(アレハンドロ・ホドロフスキー)

 

おそらく日本で売れた本の冊数は少数だった(出版社も文遊社という小さなところだった)のだろうけれど、この本には参りましたぞ。
かようにも格調高く、文学的であり、かつ、哲学的であり、更には、心理学的でありさえする文章をサラリと読ませてしまうのですから。

 

著者は、少なくとも構造主義について深い知識を有しておられ、あるいはゲシュタルト心理学系統の研究もなさっていたのかもしれません。
精神分析関係にご興味のある方なら、より一層興味深く感じられるのではないかしら。

 

原典にあたったわけではなく、日本語訳で読んだので、翻訳者である青木健史さんの力量の高さによるものである可能性も否定できなくはありません。
いずれにせよ、一度は読んでおいて損はない作品だと思いますぞ。