xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

温故知新(その12) 旧約聖書の”神”と新約聖書の”神”は同じではない? ~初期キリスト教における、あるグノーシス派の主張~

シノペのマルキオン。
初期の正統キリスト教会から異端として徹底的に排斥された者。

 

西暦140年ごろ、初期教会が成立しつつあったローマに忽然と現れた、その人物。
小アジア半島(ポントス)出身で、おそらくはキリスト教に改宗したユダヤ人であろうともいわれています。

 

彼の根本的な考え方は、キリスト教からユダヤ教的な要素を徹底的に排除するというもの。
それ故に、最終的にはキリスト教の正典から、”旧約聖書”を丸ごと削除することを主張するに至りました。

 

その理由は、旧約聖書の”神”は厳格で妬みと殺戮の神であるのに対し、新約聖書の”神”は温和で許しと愛の神という、全く異なった性質を持つ神であり、この二つの神は、同じ神ではあり得ないから。
優れて哲学的な側面を有するこの思想は、キリスト教ユダヤ教の束縛から開放できるという非常に大きな利点がある一方、この世界には『少なくとも神が2つ以上存在する』ということとなり、キリスト教の根本原理である唯一神思想を根本から否定するものとなります。

 

更に、旧約聖書との連続性を自ら断絶する行為は、キリスト教が(神話上の物語に過ぎないとはいえ)創世以来の連綿たる歴史の中で神の手により到達するに至った究極の宗教という地位(すなわち、普遍性という権威)を放棄することを意味します。
当時、ナザレのイエス磔刑により死亡してから未だ100年程度しか経過していなかったキリスト教にとっては、自ら新興宗教であると宣言しているようなものであり、初期の正統派教会が何より望んでいた”権威”を揺るがしかねない問題となります。

 

更に更にいえば、マルキオンは、人間は旧約聖書の”神”により創造されたが、その人間の魂を救済するのは(人間とは本来無関係である)新約聖書の"神"だと主張。
これはもう、正統派教会からみれば、自己矛盾した与太話であり、神への冒涜以外、何物でもないと受け取られたことでしょう。


確かに。。。


旧約聖書の”神”は、戒律そして律法に極めて厳格な神であり、その性格は残忍かつ陰湿で、自ら妬みの神と呼ぶほど。
ちなみに旧約聖書では、神による「ノアの洪水」伝説での容赦ない殺戮を除いても、”神”が殺戮した人間の数は250万人にも及ぶのに、神の対立者にして人間の敵対者であるはずの悪魔が殺戮した人間の数は10名、という調査結果を読んだことがあります。

 

自分で作っておいて、気に食わないから「殺す」、ムカついたから「殺す」、その場の勢いで「殺す」・・・
旧約聖書の”神”は、もともとはシナイ半島で信仰されていた戦いの神らしいとの説があるので、実は「殺戮が大好き!」なのかもしれませんね。

 

もっと乱暴に言っちゃえば、旧約聖書の”神”って、アタマの中は空っぽのくせに、性欲だけは異常に強く、勢いでセックスしちゃって、でき婚した挙句、幼いわが子を虐待しちゃう、そんなクズ・レベルのヤンキーやヤンママみたいなものかも。


そういえば、「ヨブ記」において、「俺の考えも分かんないくせに、人間風情が偉そうに吠えてんじゃねーよ!」と”神”がヨブを恫喝する場面があるのですが、それなど、街でたむろする不良がケンカを売るときに似てません?

 

まあ・・・シノペのマルキオンならずとも、
旧約聖書の"神"って、マジキチじゃね?」
って思いたくなるのも分からなくはありません。
もっとも、そのような振る舞いすらも、人間如きの理解力では及びもつかない、神の深遠なる策略なのかもしれませんから、この話はココまで。


さてさて。。。


小アジア出身の彼がローマに到着するや、初期教会に多額の金銭を寄進。
おかげで正統派を自認するローマの教会のメンバー達から快く迎えられたらしいのです・・・一先ずは。

 

マルキオンは、確かに熱心なキリスト教徒ではあったのですが、ローマに登場したときには、すでにグノーシス派の影響を色濃く受けていたとも考えられています。
その当時、彼の出身地であった小アジア半島の沿岸地域は、同じキリスト教でもローマの正統派とは全く異なる思想を有するグノーシス派の盛んな地域であったことは、注目に値するでしょう。

 

西暦144年。
マルキオンは、ローマの教会(当時、物理的な聖堂などはなく、あくまで理念としての教会)で自説を公表。

 

その途端、彼は正統派教会の嬌敵と化した・・・
何故なら、彼の説は、正統派教会の教えを真っ向から否定する異端であったから。

 

正統派教会は彼をローマから追放・・・
そうなるはずだったのに、彼、マルキオンはローマに留まり続ける。

 

それどころではありません。
マルキオンは、マルキオンに同調する者らとともに、マルキオン派教会を設立してしまったのです。

 

ローマで正統派と異端派が真っ向からぶつかり合う状況が生まれたってわけ。
それどころか、マルキオン派は、正統派教会からの激しい排撃をものともせず、シンパが増え続け、ローマどころか地中海諸国にまで信徒を有する一大勢力になったとも伝わっています。

 

ちなみに、マルキオン派は数世紀後(一説では500年ぐらい後)には歴史から完全に名を消すこととなるのですが、マルキオンの思想の根本部分は、今に至るまで分かっています。
彼の著作「対立論」等、そのすべてが完全に失われてしまったのに。

 

その理由は、マルキオン派を激しく排撃し続けた、当時の教父らの著作が正統派教会の手により大切に保管されていたから。
歴史は勝者の手により書かれるのは当然ですが、その勝者の手によって敗者の思想が今に伝わるというのが、何とも皮肉めいていますよね。