読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

温故知新(その6) ラッセルの思考実験 : 「世界は5分前に始まった」という仮説を論理的には否定できない ~世界は、もしかすると、いたずら好きな神の遊びで創造されたのかもしれない~

例えば、子供から
 「世界」って何? 
 「記憶」って何? 
なんて真顔で尋ねられたら、回答に窮しちゃいますよね。

子供が抱く疑問って、無邪気な疑問であるだけに、ある意味で根本的な問いを含むことがあるように思いますぞ。

 

「どうして空は、青いの?」

程度の質問なら、子供が理解できるか否かはさておき、回答すること自体は、さほど難しいことではありません。
物理現象についての質問だから。

 

コレに対して、「×××って何?」系の質問への回答は、なかなか困難です。
定義そのものをしなければならないから。

 

とはいいながら、子供から

「世界って何?」

って真顔で聞かれたって、

「森羅万象だよ」

ってテキトーに答えちゃうのが関の山(汗)
永遠に続く、トートロジー・・・

 

更に、子供から

「世界って、どうして存在するの?」
なんて問われちゃった日には、もう頭がパンクしちゃうでござるよ。

 

存在の謎を問うような形而上学的問題を聞くんじゃないですよ!

って、子供を叱っちゃうかも・・・

 

でも、この手の擬似問題って、今でもかなり執拗に使われていますよね。
例えば、インテリジェント・デザイン進化論支持者とか・・・

 

もっともマンガやアニメなんて、トンデモ系の疑似科学の塊。
しかも、それらしい用語(例:セントラル・ドグマ、ガフの部屋)をテキトーに使って、それらしく見せちゃうわけだから、それに比べれば・・・まだマシかしら?


で。。。


先にあげた疑問だけでなく、

 「生命とは何か?」

 「意識とは何か?」

なんていう問題についても、同様。

 

過去、誰一人として満足な説明なんてできなかったから。
(論理的に破綻している自説を掲げて悦に入っているインチキ宗教家などは、当然、排除(笑))

 

鋭い方なら、「オマエ、意識のハード・プロブレムについて語りたいんだろ?」って思われるかもしれませんが、さにあらず。
なんせ、中学生ですら理解できる子がいる『ゲーデルエッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(白揚社)を読んで挫折した程度のアザゼルに、かような問題を語れるはずもございますまい。


さてさて。。。


この世界が5分前に創造されたという思考実験を示したのは、数学者、哲学者にして、ノーベル文学賞を受賞したバーナード・ラッセル。
因果律の破れを論理的に否定することはできないってこと・・・らしい(汗)

 

この世界が5分前に発生したのではない、ということを証明することは、論理的に不可能とされています。
この世界が「あるとき突然に、世界が5分前そっくりの状態で創造された」という仮説に対し、論理的不可能性を見出すことができないから。
(ただし、この思考実験の前提となる時間の概念(特に過去についての前提)が誤っており、「問い」そのものが無意味である(すなわち、擬似問題に過ぎない)との批判あり。)

 

例えば、
 「記憶」とは何なのでしょう?

もっと範囲を絞って言い換えるのなら、

 自分自身が経験したものだと信じて疑わない記憶が、

 本当に過去の事象であると論理的に証明できるか?

 

周りの者たちが皆、同じことを覚えているから・・・という抗弁は、この場合、何ら意味を有しません。
世界中の人々が偽の記憶を植え付けられているかもしれないのですから。

 

この思考実験が重要な理由は、知識としての過去と実体としての過去は、論理的に独立の関係に立つことを示しているから。

 「知識としての過去」 ≠ 「実体としての過去」

なお、この記憶には、貴方のPCのハードディスクの中に残っているような、さまざまな情報すら内包します。

 

映画「マトリックス」をご覧いただくと、この不等式が成立することが何を意味するのか、イメージいただけるはず。
個人のレベルでの記憶のあやふやさという意味では、虚偽の記憶が大きなコンセプトとなっている映画「トータル・リコール」も面白いかもしれません。


それにしても。。。


「時間」

とは何なのでしょう?

 

これは(物理量としての時間ではなく)哲学的あるいは宗教的な意味としての「時間」についてなのですが・・・

 

時間は一般的に理解されているように、本当に「過去から未来に向かって流れている」のでしょうか?

時間が「過去から未来に向かって流れている」としたとき、その流れは本当に不可逆なのでしょうか?

そもそも、時間の理解として、「過去・現在・未来」という分類は正しいのでしょうか?

 

言い換えれば、時間は、連綿と間断なく続く流れ? 

それとも、断続した「瞬間」が続いている?

 

もし、直感的にしか理解できていない「時間」の概念自体が誤っているとしたら・・・
あるいは、ラッセルの提示した思考実験そのものが無意味なものとなるのかもしれません。


そして。。。


こんな程度の知識や理解力しか持ち合わせてないアザゼルでも、いつかは知りたいと思うことがあるのです。

 「<私>は、何故、他者のいずれでもない、私自身なのか」

ってこと。


まあ。。。


人間って、どこまで行っても結局は自分のことが好きだから、自分のことをトコトン知りたいと思うのかもしれません。
その要求を満たすものであれば、例え、アニメであろうと宗教(信仰)であろうと、惜しげもなくおカネを投じてくれるのが、その証左ともいえるのでしょう。