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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

映画『帰ってきたヒトラー』、観てきたよっ!(その2) ~映画を観ながらチットばかり考えていたこと~

赤木智弘さんの『「丸山眞男」をひっぱたきたい』を読んだ方はいらっしゃるかしら?

「丸山眞男」をひっぱたきたい

プチ・ブルジョア階級が臆面もなく左翼思想をひけらかしても、

「自分は安全なトコロにいながら、テキトーなコト言ってんじゃねーよっ!」

と鼻白む思いを胸中に抱くのは、むしろ当たり前のことなのかもしれません。

 

彼は「平和主義」について、そんなモノは”現状維持”をヨシとする、いわば、社会の固定化、階級の固定化、貧困の固定化であると主張します。

平和とはいったい、なんなのだろう?

(中略)

私から見た「平和な社会」というのはロクなものじゃない。

(中略)

何をしていいか分からないのに、何かをしなければならないというプレッシャーばかり与えられるが、もがいたからといって事態が好転する可能性は低い。

そんな状況で希望を持って生きられる人間などいない。

 「平和」であること、それが社会の流動化を阻害し貧困層を絶望へと追いやるものでしかないのなら、むしろ、国民全員が苦しみ、否が応にも社会の流動化が進まざるを得ない「戦争」は、貧困層にとってみれば、素晴らしい機会となり得る・・・

 

ちなみにこの主張が朝日新聞の「論座」に掲載されたのが2007年。

もう10年近くも経過しているけれど、30代以下の日本の若者を取り巻く環境は、改善の兆しどころ、救済はずっと先送りされ続けたまま。

 

もっとも、その後に世界経済を揺るがせたリーマン・ショックの後遺症などで、正社員もリストラされまくったけれど。

非正規雇用が増加しても、生きていくのに精一杯で、生活の安定どころか、将来への不安と現状への怒りが鬱積していくだけ。

 

そして、彼は、続けます・・・

一生懸命まじめに働いても、生活が成り立たない社会が正しい状態ではないことは明らかだ。

普通の人が普通に働けば、普通に生活できる社会を構築するべきだ。

(中略)
格差問題の是正を主張する人たちは、高齢者が家族を養えるだけの豊かな生活水準を要求する一方で、我々若者向けには、せいぜい行政による職業訓練ぐらいしか要求しない。

弱者であるはずなのに、彼らが目標とする救済レベルには大きな格差が存在するように思える。
どうしてこのような不平等が許容されるのか。

(中略)

彼らが不満や被害者意識を持っているというなら、なぜ左傾勢力は彼らに手を差し伸べないのか。

若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。

(中略)

極めて単純な話、日本が軍国化し、戦争が起き、たくさんの人が死ねば、日本は流動化する。
(中略)

平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。

そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。

その可能性のひとつが、戦争である。

(中略)
戦争は悲惨だ。
しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。

(中略)
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。

だからこうして訴えている。

私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制しつづけ、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は、「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

出所:朝日新聞社 「論座 2007年1月号」

 

アザゼルは、映画「帰ってきたヒトラー」を観ながら、赤木さんの寄稿文を頭の中で反芻していました。

だって、「平和」の恩恵は、決して国民平等に行き渡るわけではないもの。

 

そして、インテリ層が大好きなリベラル思想。

それが何故、社会的な影響をかようにまで喪失してしまったのか、そのことも一緒に。

 

「平和」であることがむしろ、受け入れ難い不平等を固定化するものだとしたら?

 

大学や企業の正規職を得て安定した生活を享受している者が、いくら声高にリベラル思想(っていうか、反改憲(笑))を唱えられたところで、冒頭に書いたように、説得力はさほど無いのかもしれません。

ソレと同時に感じることは

社会の分断の深刻化

ってことかな。

 

赤木さんは、社会の固定化の問題を挙げたけれども、それは同時に

 経済成長しない社会

  もしくは

 資本主義経済体制の限界が露呈しつつある社会

をも視野に含めておくべきよね。

理由は、経済成長しない社会においては、社会保障等に投入できる原資たる税収も増えることはないから。

 

一部のネオリベ層は、富裕層や大企業への課税強化により年間25兆円(!)もの「真水ベース」の税収増加が見込めると吹聴していたけれど、

寝言は寝て言え

ってマジで思います。

そんなことしたら、フランスで実際に起きた富裕層の一斉海外逃避が、この日本で起きるだけ。

(フランスでは結局、オランド大統領が富裕税導入を撤回する羽目に陥りました。)

 

今は大企業誘致で世界的な法人税率の引き下げ競争が続いているというのに、日本だけ逆を行ったら、わざわざ世界規模で事業展開している会社の本社の海外移転を強力に支援しちゃうことになるぞ。

あるいは、財務会計上、海外子会社からの資金還流をストップしちゃったり、会計技術を駆使すればイイだけってことにもなりかねませんし。

 

右翼の夢物語もヒドイ(実際に中にいたもので・・・分かるんです(´・ω・`))けれど、リベラルの「脳内お花畑」には困ったものです。

コレからの社会は、限られた資金の

ブンドリ合戦

が各所で繰り広げられるような、容赦の無い罵倒の応酬を余儀なくされ、より一層ギスギスした社会になるのは必定だというのに。

 

国は、それがドイツであろうが日本であろうが、一枚皮を捲れば、構成員たる国民の想いって・・・悲しいほどにバラバラ。

利害対立どころか、ヒトとしての価値感すら共有できてはいない有様。

 

映画「帰ってきたヒトラー」を観ながら、そんなことを考えていたりしたんです。

断絶された国民を一つの国家として繋ぎ止めるモノとは何か・・・だとか・・・

 

(補足)

『映画『帰ってきたヒトラー』、観てきたよっ!(その3)』に続きます。