xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「日本的霊性」(鈴木大拙)を読み直してみたんだけれど・・・ ~こんなモノが「日本的なるもの」だというのなら、日本など消えてしまえ!~

えっと。。。

 

今年は、鈴木大拙先生の没後50年にあたります。

まあ・・・そういう訳でもないんですが、読み直してみました「日本的霊性」

 

ちなみに、アザゼルが読み直したのは岩波文庫版の方。

で分かったことは、アザゼルは鈴木大拙先生の思想には、とてもついて行けないってこと。

 

何て言えば良いのかしら・・・

結論ありき(つまり、親鸞様万歳!(笑))ですべての論旨が構築されているように思えるんです。

 

もっと言えば、所詮、オトコの勝手な論理って感じかな。

女性的なるものを「日本的なるもの」として積極的に認めてはイカン!という件には、その時点で拒否反応が起きてしまってダメ。

 

如何にも戦前の男子が考えそうなこと・・・って感じ。

絶対的他力本番の浄土思想と禅こそが、霊性を有し得た「日本的なるもの」というのも疑問。

 

それは大拙先生ご自身が浄土真宗系のお坊さんだからでしょ。

半島経由で大陸から渡来した仏教が、日本の大地に根を張り巡らして、やがて開花したのが日本独自の仏教であり、正しくは日本的霊性というべきものである、という主張も議論の余地無し!と強引に押し付けてくるのにも閉口。

 

早い話、言語化できるような全国民に共通する宗教的バックボーンを持たない日本において、コレが「日本的なるもの」なのだ!と強弁できる材料を与えてくれたってことが重要なんじゃないの?

そんな風にすら思えるんです。

 

つ・ま・り、近代以降に概念として成立した「国民国家」の在り様と示す理念の提示に四苦八苦した日本の慟哭のようなもの。

天皇中心の日本への回帰を願ってやまない某巨大政治勢力にも共通するデマゴーグっぽいイメージすら受けちゃう。

 

「日本は凄いんだぞ!偉いんだぞ!世界から尊敬されているんだぞ!」

と自分で自分を慰めてドーすんでしょうね。

そんな慰めなんかイラナイし、日本人であることだって所詮は選択肢一つでしかなくって、他国の国籍を取ったらサヨウナラってことにもなりかねないのに。

 

日本的なるもの

そんなモノ、ホントにあるの???

 

なんとなぁ~く、日本男子の書く文章に散見される、見果てぬ夢への憧憬というか感傷という気もしちゃうな。

どうして男子って、自分と自分の周りを美化しがちなんでしょう。

 

大ヒットしちゃったアニメ映画のような子供じみた感覚としての「ありのままの私でイイの」なんて言うつもりもなく、そんな答えの無い問答に執着する暇があるんなら、保育所の一つでも作ったらぁ~

「日本死ね」なんて下品な言い方はしないから(笑)