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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

禅について

座って行う禅だから、座禅

印度では立って行う禅もある

 

瞑想の中では、

「自己」という物理的制約を超えることができる

 

あるときは原子よりも小さく

すべてを構成する根源へと還元せしめ

あるときは星々よりも大きく

太陽すら一飲みにする巨人にもなれる

 

そして、最終到達点である

「自己」という存在の消去へと至る

 

観念として己を消し去ることは

他者を消し去ること

自己と他者の境界を作りしものが

己が作り出した幻影であると感得すること

 

自己は嫌悪の対象ではない

他者は恐怖の対象ではない

 

生きながらにして死ぬ

死にながらにして生きる

 

世界との合一を果たし

己は世界の一部ではなく

世界そのものであることを知る

 

その境地に至れば、死はもはや恐怖足り得ない

生と死の境界が実は曖昧なものでしかないことを

すでに知っているのだから

 

そこには

神もおらず、魔もおらず

時間もなく、空間もない

 

もとより

これは物理的な事実ではない

あくまで脳内イメージでしかない

 

でも

 

脳内のイメージでココロの苦しみが

例え一時ではあっても和らぐ

これもまた否定できない事実

 

そして

 

待つ

ひたすらに待つ

 

やがて己の肉体が滅び

生物としての死を迎えたとき

恐怖に慄くのではなく

優しく自然に受け入れる

 

死は悲しみではない

生は苦しみではない

 

ここに存在する自分

あるがままの自分

それを認め、許し

己が内に受け入れる

 

もしかすると

 

禅の本質は、瞑想にあるのではないのかもしれない

待つこと、ひたすらに待つことこそ、本質なのかも

 

そんなことを考えながら、眠りにつく

みなさま、おやすみなさい