xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

アナーキズム、雑感 ~アナーキズムに限らず、思想の持つ力はおカネの前に容赦なく屈服させらえれるのか~

アザゼルの手元にある一冊の本。

表紙のタイトルは「黒の手帳」、出版されたのは1966年11月20日。

 

後に平凡社の取締役になる大沢正道の編集による、いわゆる自費出版の類。

この本の存在を知ったのは「二十歳の原点」(高野悦子)を読んだから。

 

(ご参考)

あやしい時代 ~ホンモノなんて知らない~ ゆとり世代のボクが「二十歳の原点」(高野悦子)を読んでみた

 

もう、2年以上昔のお話だけど、今みたいに「ド~せ、成るように成る、成るようにしか成らない」とは言い切れない、割り切れなかったんでしょう。(遠くを見る目)

・・・当時は、現在よりも多少はマトモだったみたい(笑)

 

でね。。。

 

その中で、ホンの少しだけなんだけど「黒の手帳」が登場するんです。

そのことを忘れていたはずなのに・・・古書店でこの本に出合ったとき、読んだときの記憶がフラッシュバックしちゃった・・・というわけ。

 

もちろん、即購入。

お値段、税込みでたったの500円也。

 

「黒」色は、いうまでもなく、アナーキストたちの旗の色。

今ではイスラム国の旗の色ってイメージの方が強いわよね。

 

 

さてさて。。。

 

 

編集人である大沢正道は、巻頭の「人間のなかの組織と組織のなかの人間」の中で告白している。

思想界におけるアナーキズムの退潮が著しいと。

 

しかし、アナーキズムは奇跡的な復活を遂げる。

発刊されてから2年後に全共闘運動が全国に波及したから。

 

ところが・・・「黒の手帳」に参加した同人たちの書き記した言葉の内容は、2016年、すなわち、50年後の現在であっても、いささかも古めしさを覚えない。

コレは褒めているんじゃありませんよ、アナーキズムが見事なほどに思想的発展を遂げなかったことを揶揄しているんです。

 

半世紀もの間、アナーキズム研究者たちは惰眠を貪ってきたのだろうか?

あるいは、アナーキズムはすでに「終わった思想」でしかない、過去の遺物なのだろうか?

 

「いやいや、チョムスキーがいるじゃないか!」という指摘はあるいは正しいかもしれない。

それでも、50年前の「黒の手帳」の内容を改変させるほどの影響力を与えたとは到底思えないんです。

 

あぁ、つまらない・・・如何に飾ろうとも既視感しか覚えない言葉の羅列。

「はたからずに、たらふく食べたい」も、アザゼルの読むところ、ドイツ・アナーキズムの異端児ポゴ党の主張と何らの差異もないんじゃないかしら。

 

アナーキズムに限らず、それが右翼的なものであろうとも、現代の思想には、血沸き肉躍るかのような高揚感を与えてくれる力は、永遠に失わえてしまったのだろうか。

コレじゃあ、未だ政治的には赤旗を振っている中国においても「社会主義市場経済」なる名称を与えられた、欲望むき出しのグローバル資本主義の前では何の盾にもなりますまい。

 

やがて、我が祖国、日本もグローバル資本主義の恐ろしく鋭く強大な牙の前に、闘うこともせず屈服するのでしょうか?

思想の力など、おカネの力の前には児戯同然と諦めるしかないのでしょうか?