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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

感傷的な、余りに感傷的なテロリスト ~ココロを支配するものと、支配されることの絶望と悦楽~

先日の欧州で発生したテロ行為の犠牲となられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

あらぁ~、どこからか声が聞こえてくる・・・

「アザゼルよ!

 オマエ、米英仏独の連合軍やロシア軍によるシリアへの空爆によって多数の一般人が犠牲になっていることは見て見ぬふりをするくせに、その報復行為を非道・卑劣なテロだを非難するのか?

 先進国の人間が殺されればテロだと叫び糾弾する。

 その一方で、弱小国の人間が殺されても無視する。

 そんな見せかけの薄っぺらな正義を振りかざして恥ずかしくはないのか!」

・・・あぁ~、そんな面倒な方は、リテラでも読んで自己満足に浸っておいてくださいね。

 

さぁ~て、今回はチット違うところから出発してみませう。

 

「自分探しの旅が大好き!」

ってヒトがいるけど、まぁ、それ自体が悪いわけじゃない。

(周りに結構迷惑をかけている例もあるけれど・・・)

 

でも、「ホントの自分」、「真の自己」ってなんなのでしょう・・?              

    (?(。_。).。o0O??

 

「自己」とは、

「肉体」と分離して存在する

 霊魂のような無形のモノ

そんな風にでも考えないと、「自分探し」って、要するに自分のやりたいようにやりたいだけってことになっちゃうものね。

いえ・・・「自分探し」なんて単に辛抱できないだけってコト、そして、その言い換えでしかないコトぐらい、24の女子でも分かっているんですけど(笑)

 

じゃあ。。。

 

もう一つの可能性としては、「肉体」と分離せずとも、物質を徹底的に微小な・・・正確には極小なレベルにまで分解することができれば、そこには

「絶対的な真理」

があるはずだ・・・

(物理なんだか、生理学なんだか、哲学なんだか、宗教なんだか・・・

 もうサッパリ意味不明な論旨展開! でも、よくある考え方。)

 

でね。。。

 

「真の自己」=「絶対的な真理」という等式が自己撞着の結果、っていうより論理的なふりをした超越論理(笑)の結果、生み出されることに・・・

その行きつく先は、「神」との合一による「救済」

 

こんな論理が成立し得る余地があるとするのなら、我々の本質はDNAであり、素粒子・・・あるいは超弦というか極小の振動するエネルギーということになっちゃうんだけれど。

まぁ、ドーキンスさんなら大喜びしちゃいそう。

 

もちろん、「自己=無」という考え方も成立する余地はあり得るんだけれど、「神」という普遍かつ偉大なるモノの存在を前提とする限り、その行きつく先はほとんど同じ。

個人的にヤなコトは、

「正しい生き方というものが存在する」

という不寛容の思想に行きついちゃうってことかしら。

 

正しいのか、正しくないのか、それを決定するのは、果たしてワタシなのか?

それともグル? 組織? 国家?

 

でも。。。

 

それ以上に恐ろしいコトは、

「殺すことは

 義務であり、逃げることは許されない」

って思想の終着点に至っちゃうこと。

 

クリシュナっぽい言い方をしちゃえば、

ヒトは生まれ持った義務を果たすことが大切なのであり、

その義務を果たす過程で絶望や悲哀を感じる必要など微塵も無い

ってヤツですね。

 

戦いの中にあるものは、絶望や悲哀なのかもしれない。

しかし、義務の前に私情を挟む行為は、むしろ罪を犯すものであり、人間を殺すという行為自体は何ら犯罪には当たらない。

 

自我を超越し、義務を履行することは、

神の意志であり、祝福である。

 

自分の頭でコトの善悪の判断をすることは苦しみであり、そんな判断を放棄することは喜びなのかもしれません。

もちろん、その背景にあるものとして、直接的な原因となったものが差別や貧困といったものからもたらされる絶望や復讐心であることにも留意する必要がありますよね。