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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

能「卒塔婆小町」 ~小野小町の成れの果てだと称する乞食老女が語った言葉(アザゼル翻案(笑))~

えっと。。。

 

こんな場末のブログを密かに読んじゃっている方なら、おそらく興味の欠片すらお持ちでないであろう「能」のお話

あっ・・・アザゼルもほとんど興味も知識も無いんですが、例外的に好きなのが、いわゆる「老女物」

 

というわけで、今回は「卒塔婆小町」でござるぅ~

どっかの劇団名なんかじゃないから悪しからず。

 

【能「卒塔婆小町」のスッゴク乱暴なあらすじ】

 

能にはよく登場する高野山のお坊主さんたち

京の都の上ろうと、テクテク歩いていたら、アララ・・・乞食の風体をした老女が、あろうことか卒塔婆(そとば:お墓でよく見かけるアレ)に腰かけているではございませんか。

 「このぉ~罰当たりめ~」

カチンときた坊主の一人が卒塔婆から退かせようと乞食老女に

 「ゴラァ~! トットとソコから離れろぉ~!」

とか偉そうなことを言いはじめるんだけれど・・・

このお坊主さん、乞食さんに『法論』で軽ぅ~くノックアウトされちゃうんです(笑)

 

そう、コレは間抜けな坊主の物語・・・じゃないなぁ~い!

 

で・・・お坊主さんたち、この乞食さん、タダモンじゃないなって気づいて

 「お、お前は誰だぁ~!」

って、子供向け番組の悪役の決まり文句みたいに尋ねる(ウソ)と・・・

 「ワ・タ・シ・・・は・・・小野小町の・・・成れの果て・・・」

 

・・・あのね、この後は映画「エクソシスト」の超劣化版みたいな寸劇が繰り返されるんだけど、そっちの方はマジでツマンナイから省略ぅ~

 

(「お前が腰掛けているのは仏の御姿を現した卒都婆である。さっさと立ち退け。」と坊主に言われて)

仏の姿を現す貴いものだというが、ただの朽ちた木ではないか。

ならば今の私も賤しい埋もれ木のようなもの。

 

木で作られた卒都婆が貴いものだというが、人も木も、仏教の教えでは「地」「水」「火」「風」そして「空」から形作られているはず。

なんの違いがあろうか。

その功徳においても、人が例えわずかでも悟りを求めるのなら、さほどの差もあるまい。

 

お前たち坊主が姿形だけで事の善悪を判断してどうするのだ。

仏との合一を願うからこそ、倒れている卒塔婆に腰かけることもあろう。

 

仏は救いを求める者たちを、その姿形だけで判断したりはしない。

むしろ、悪しきことであろうとも、それを機に仏縁が結ばれるのならば、素直に喜ぶべきものだ。

 

いかなる悪も、観音の慈悲となる。
いかなる愚昧も、文殊の知恵となる。

 

悪も善へと変化し、煩悩も悟りへと至る。
神羅万象、本来無一物。

 

仏と衆生に本質的な差異など有りはしないのだ。