xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

旧約聖書 創世記 : カインとアベルの物語 ~人類最初の殺人は、神の陰謀によるモノ~

いろんな意味でツッコミどころ満載の「聖書」

自己矛盾だらけのいい加減なはずの「聖書」が、尋常ではない数の人間に影響を与え続けてきた背景を考えるのは面白いですよね。

 

 

さてさて。。。

 

 

先日は「ヨブ記」を取り上げさせていただいたんですが、今回は「カインとアベル

ヨブ記」は、キリスト教に限らない宗教一般における大論点、「義人(良き人)も災厄からは逃れらないのは何故か?」を解決できないまま自己崩壊しちゃっているわけなんですが、「カインとアベル」に至っては

”この世界を支配しているのは、

  不条理である”

ということを教えてくれる、アリガたぁ~い物語。

 

例によって、自己矛盾だらけの物語だけに、細かなコトは無視しましょう。

如何に初期の聖書の制作者たちがテキトーに書き上げたのか、嫌でも分かってしまいますもの。

 

話自体はスッゴク簡単。

登場人物は、アダムとイブの二人の息子、兄のカインと弟のアベル、それに神様。

 

兄は神様が弟をエコヒイキしたのが許せず、弟を亡き者としました。

それを神様が怒って、兄は地上を彷徨うことを余儀なくされました。

 

それだけのコト。

そもそも、神様が何で弟が捧げた供物だけを受け取って、兄が捧げた供物を受け取らなったのか、その理由について聖書では何も触れられていません。

 

だから。。。

 

聖書の研究、殊にキリスト教の立場からの解釈は、意味不明の領域に達しています。

曰く

1)兄は自然の恵みでしかない農作物を捧げたのに対し、弟は自分で育てた家畜を屠って捧げたから

  → 手間暇の差

2)兄は特に何も考えずに供物をささげたのに対し、弟は自身の財産の中で最上のものを捧げたから

  → 希少性の差

つ・ま・り、旧約聖書の神様は、人間が考える程度の価値観しか有していないってことを、キリスト教徒自らが支持するという、

「オマエら、マジで怒るぞ!」

と神様から言われちゃいそうなことを平然とやってのけるんです。

 

何故、これがおかしな論理になるのかというと、

「神の御心は神のみぞ知る」

とか言っておきながら、都合が悪くなる(信徒から「信じても無駄なら、教会に寄付なんかしねーよ!」といわれては困る)と、テキトーに言い繕いを始めちゃうという自爆を臆面も無くやるから。

バッカじゃないの?

 

サン・ピエトロ大聖堂の建築費捻出のために免罪符を売り出したら、教会の目論みどおり、大当たりしちゃったことからも分かるように、救いの無いモノにヒトは進んで献金なんかしたりしない。

「いやいや、そうじゃないだよ。

 無学な君たちには分からないだろうが、実はこういうことなんだよ。」

とデタラメで言い繕うことが聖職者の役目。

 

これじゃあマズいってことで、歴史学的な立場から、農耕民族が狩猟民族に支配されたことを寓話を用いて説明したっていうモノもあるんですが・・・

じゃあ、聖書は神様の言葉でも何でもない、ってことですよねぇ~

 

どちらにしても見事なほどに

救いが無い・・・

 

この世は不条理である。

世間から良き人との評価を受けているヒトが(日本なら東日本大震災のときのように)無残に死んだり、全財産を失ったりすることもある。

 

人間の評価基準で「良い」とか「悪い」とか、そんなモノでは神は人を裁いたりはしない。

ヒトは神の裁きを、ただただ受けいるだけの、限りなく軽い存在でしかない。

 

神をいくら称えようとも、神をいくら罵ろうとも、神の耳には何一つ、届きはしない。

神はおもむくままに恩恵を与え、罰を下す。

 

とどのつまり・・・

 

『ニンゲンって、面白い!』

ってことですよねぇ~

 

救いが無いからって、結局は虚無主義にでも陥り、

「やってやるって!!」

と心に期し、新幹線でガソリンを撒いて焼身自殺したうえに、他人まで巻き込んじゃったり・・・とか・・・

まあ・・・アリっちゃ、アリかしら・・・(ウソ)