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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「しんがり 山一證券 最後の12人」(清武英利)を読む ~できれば17・18歳ぐらいの子に読んで欲しい本~


Amazon.co.jp: しんがり 山一證券 最後の12人: 清武 英利: 本

「俺たちで決着をつけよう」会社の消滅時に、最後まで意地を貫いた社員の物語。16年前、四大証券の一角を占める大手、山一證券金融危機のさなかに破綻した。幹部たちまで我先にと沈没船から逃げ出すなか、最後まで会社に踏みとどまり、真相究明と顧客への清算業務を続けた社員たちがいた。彼らは社内から「場末」と呼ばれ、煙たがられた部署の連中だった―。

 

読んでいて、これぐらいに過不足感を感じさせないほどに深堀りされたノンフィクション分野の本には、そうそう出会えるものではございません。

なるほど、何年も何年もこの事件を追い続けてきた著者だからこそ上梓することのできた作品だけのことはあります。

 

それが法人格なき社団のような任意団体であれ、会社組織であれ、公共団体であれ、国家であれ、組織である以上、腐敗する部分が生じてしまうのは、ある意味で必然。

組織は、徐々に本来の目的を離れ、組織の存続こそが至上命題となるから。

 

しかし・・・崩壊する組織と持ちこたえる組織の差はどこにあるのでしょう。

この本では、組織が内部崩壊から過程を明らかにし、崩壊を食い止めることができなくなる「回帰不能点」というものがあることを教えてくれます。


組織での内部監査あるいは検査はもちろん、批判すら許さない部門を作り上げ、一部の暴走を止めるどころか、むしろ加担を強要する有様となる。

しかも、そのような深刻な腐敗が組織の根幹で進められているにもかかわらず、組織内部の多くの者たちが、そのような状況を疑問に感じられない不感症に陥ったとき、如何に大きな組織であろうとも、崩壊を食い止めることは不可能となる。

 

組織の内部にいる生身の人間だからこその打算と自己保身。

この本は、焼き付け場の取材では到底不可能な、山一證券という大組織での生々しい内情を暴いていきます。

 

この手の本なら・・・

そうですよね、その筆頭に挙げられるのは、おそらく

「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」 (中公文庫)

 

アザゼルは、このような本は、むしろ思春期の子供たちに是非とも読んで欲しいなぁ~って思うんです。

多くの子が「内容が難しくて分かんなぁ~い!」と不満を言うかもしれません。

 

でもね。。。

 

それでも、組織の中に身を置いて、組織内政治に勤しむような年齢になってから読んだのでは遅いんじゃないかしら・・・

そんな風に思うんですよね。

 

「間違っていることを間違っているといえる感覚」

 

コレって、組織人となってから養えるようなものだとは思えません。

ワガママでいうのではない、自己の利益のためにいうのでもない、世間一般の感覚から許容されるレベルを著しく逸脱しているからいうのだ・・・という感覚。

 

間違ってほしくはないのですが、それが組織のためだとか、それが組織存続のために必要だから・・・そんな感覚ではないのです。

そんな程度の感覚じゃ、組織の中に入ちゃえば、確実に麻痺して終わり。

 

「そんなこと、いえるわけないじゃん!」

 

干されるのが怖いんでしょう。

分かります、分かりますとも。

 

だって、それが「組織人としての常識」という名の腐った感覚であることが分からなくなった者に共通する言い訳だもの。

これが常識なんだと思い込むことで、免罪符にしているだけなのに。

 

さてさて。。。

 

この手の問題って、

「自分にとっての幸福とは何か?」

という問いに帰結し易いから難しいですよねぇ~

 

もしいえるとしたら・・・

幸福は、他人から与えられるものなんかじゃない

ってことぐらいかしら。

もっとも、これだってアランの「幸福論」の受け売りでしかないのだけれど・・・