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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

格闘家・青木真也選手の冴えた感覚 ~強ければ何を言っても許される、それが格闘技の世界じゃないのかなぁ~!?~

青木真也選手の呟きで、やれ矛盾しているだの、論破されると逃げるだの、シャーシャーと語る方が多いみたい。

でもね、そんなことドーでもイイと思わない?

 

リング上で負けた相手に「バーカ」と言おうが、許されるのが格闘技の世界。

むしろ、試合前に挑発しまくった挙句、試合で軽ぅ~く捻られて惨敗しちゃった相手が、勝者から「バーカ」と罵られて逆切れする方が

よっぽど、頭が悪いんじゃない?

 

「強さ」こそは「正義」

「敗北」は絶対「悪」

 

敗北の先には何も無い。

人生ドラマなどに意味は無い。

 

格闘技がプロレスと根本的に違うのは、負けても評価されるか否かっていうところ。

まあ、格闘技にあんまり興味は無い(キッパリ!)んだけれど、青木選手の存在感というか、その身に纏ったオーラみたいなものが好きなので、アザゼルは擁護しちゃいますよぉ~

 

そもそも敗者に語る歴史など有りはしない。

それがハッキリしているのが格闘技のイイところ。

 

勝者が歴史を語り、歴史を作る。

敗北者は惨めに地べたに這いつくばり、勝者の作り出した歴史の闇に葬り去られる。

 

こういう点を容易に受け入れ難いのが男子の特徴でござるよね。

何て言うか・・・諦めきれないというか、惨めったらしいというか。

 

努力しているとか、家庭環境がドーたらコ~たら・・・

どれだけ努力しようが実績が上がんなかったら、いるだけ邪魔!

 

負けたんなら仕方ないじゃない。

格闘技なんかに見切りをつけて、サッサと引退しちゃって、第二の人生で経済的に成功できるように頑張ればイイじゃん。

 

いつまでもダラダラとしがみついている方が遥かにカッコ悪いのに、諦めきれないのって、ドーなんだろう?

というか・・・それしかできない・・・というのが本音なんじゃないかしら。

 

というわけでコチラ

格闘家のジム経営は「ラーメン屋」そのものだ | 「若き老害」常見陽平が行く | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

 

青木 そもそも「引退」に対する考え方は、格闘技は他のスポーツとは違いますよね。

(中略)

格闘技の世界は、引退のタイミングは「自分で決める」場合が多いです。

もちろん成績が残せなければ、収入が下がります。しかし自分がやりたくて、低収入に耐えられるのであれば、続けることができます。だから40歳前後の格闘家が、勝ち星のない「ゾンビ」になっていくことはよくあります。

(中略)

青木 なぜそれでも彼らが引退しないかというと、「現役選手であることをやめられない」からです。単純に「格闘技がやりたい」というだけでなくて、現役を続けてさえいれば、「小遣いをくれる大人」もいますし、常見さんのようなメディアに出演されている方と交流することもできます。

(中略)

青木 (中略)負け続け、倒され続けても何も感じることなく、戦い続けるゾンビに、僕はなりたくないです。どこかで、「自分」で引退を決断しないといけないと思います。

 

こういう言葉を吐けるのも、実績という裏付けがあってこそ。

負け続けている者など、逆立ちしても吐ける言葉ではございますまい。

 

常見 そこで青木選手は「アスリート」で生計を立てるということを、どう思っていますか。

青木 実は自分が「アスリート」であるという認識はないです。「個人事業主」という言葉が、一番しっくりときますね。僕のやっている格闘技も「競技」と言い方はせず、あくまでも「イベント・興行」だと思っています。

常見 面白いですね。確かに青木さんのブログやツイッターからは「プロとして興行に出て、そこで勝つ」という思想が伝わってきます。なぜそのような「格闘技観」を持つようになったのでしょうか。

青木 デビュー時に抱いた違和感がきっかけであると思います。僕は「修斗」という格闘技団体から、学生時代にデビューしました。そこで行われる格闘技は、まさに「競技」で、とにかく「勝つこと」が至上命題でした。それは確かに正論なのですが、勝ちにこだわるから試合が「つまらない」。そして試合がイベントとしてつまらないから、選手たちも「食えない」という状況を目の当たりにしました。当時の僕は「これは何がおかしい」と思ったのが、今の格闘技観のルーツだと思います。

 

(注)引用させていただいた文中の下線および文字色の変更はアザゼル。

 

凄くないですか、この感覚!

同体重クラスの日本人選手の中でメッチャ強いのに、この経営センス(笑)

 

常見 じゃあ青木選手にとって戦っている対戦相手はどんな存在なのですか。よく格闘技やプロレスを見ていて驚くのは、殴り合いのケンカをして、場合によっては関節を外されたりした後に、選手同士で握手したり、抱き合ったりしていることがありますよね。

青木 いわゆる「河原のケンカ」状態ですよね。僕は試合後、そういう感情にはならないです。試合後に「試合前以上の関係」になったことはないし、逆に離れることもありません。僕にとって、「対戦相手はその場で仕事をした人」という認識です。仕事の相手以上でも、以下でもないのです。

 

イイわぁ~、好感持てるわぁ~、スッゴク共感しちゃったぁ~

こういった「割り切った」感覚っていうのが経営者っぽいですよね。

 

彼は村社会の中では異質なのかもしれないけれど、(格闘技の収入だけでは)「食えない」といわれて久しい格闘技の世界で、ちゃ~んと稼いでいるという裏付けがある。

資本主義社会における人間の価値尺度である「どれだけ稼いだのか」という明確な基準に従えば、格闘家としての青木真也選手は勝ち組ってことなんでしょうね。