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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「教誨師」(堀川惠子)を読む ~魂の震えをおぼえる、かくも素晴らしい本に出合えたことを感謝したい~

この本のことを書く前に、明らかにしておく必要があると思う。

「ボクは、死刑制度維持賛成者である」

この本のことを書く以上、この点を曖昧にしておくのは、卑怯な行為だと感じたからだ。


Amazon.co.jp: 教誨師: 堀川 惠子: 本

 

「きょうかいし」と読む。

全国教誨師連盟によると、「教誨」とは、

字義的には教え諭すことであり、宗教教誨とは、全国の刑務所、拘置所、少年院等の被収容者に対し、各教宗派の教義に基づき、徳性や社会性の涵養を図り、健全な人格の形成に寄与する作用

であるとする。

そして、「教誨師」とは、

国の施設である刑務所、拘置所、少年院等の職員は、憲法上の制約により被収容者の欲求に対応できないことから、・・・(中略)・・・彼らの宗教的欲求に応えかつ、改善更生を促し社会復帰を図ることを目的に各教宗派の教義に基づき、改過遷善等の面接指導を行い、矯正教育の一翼を担う活動

をする民間の宗教者であり、その活動はすべて無償のボランティアで行われている。

 

乱暴に言ってしまえば、映画やドラマで死刑囚の懺悔を聴く神父や僧侶、といえばイメージしやすいのでないか。

その存在は知っている者は多くとも、死刑囚に自由に会える唯一の民間人として、彼らがどのような活動、否、どのようにして人間の内面に潜む「闇」と対峙してきたのか、それを知っている者は少ない。

 

読了後、この本はノンフィクション分野の金字塔とも称すべきもの、そう感じた。

流行りの小保方某の言葉に似ているのが残念至極ではあるが、魂の震えをおぼえた。

 

この本は、創作ではない。

非常に丁寧な取材によって構成されたノンフィクション分野の本である。

 

取材対象は、半世紀50年もの間、教誨師として活動された、浄土真宗の僧侶であり、當光寺の住職であった、故・渡邉普相氏。

著者は、約1年間、死刑に関する取材を断られても断れらても通い続け、ついに渡邉氏から教誨師として人間の心の闇と対峙してきた「告白」を聞き出し、それを渡邉氏が亡くなる2年半の間、継続して取材し続けたという。

 

執念にも似た長期取材。

しかし、著者・堀川惠子氏が紙面上に紡ぎ出す言葉は、感情の高ぶりに任せることなく、あくまで冷静で適度な抑制が効いている。

 

この本を読むことは、ボクには困難を極めた。

大袈裟な表現ではない。

 

少し読んでは涙で前が見えなくなる。

ボクは感情の起伏を抑えることが苦手だから、どうしてもどうしても時間がかかってしまう。

 

もし、この本を一言で表すという乱暴が許されるのであれば、

『心の奥底に潜む闇に射す一条の陽』

としたいと思う。

一人の力などたかが知れている、しかし、それでも諦めてはならない

そうボクに話しかけてくるのだ、耳にではなく、心の柔らかく傷付きやいヒダの部分に直接。

 

貴方が死刑制度の存続賛成派でも、存続反対派でも、一度目を通しておくだけの価値はある本。

ただし、この本は爽快感を与えてくれるものではないことも、併せて記しておきたい。