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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「21世紀の資本」(トマ・ピケティ)を読む ~彼の主張を鵜呑みにする必要は無い。ただし、グローバル資本主義への批判が強まっているトレンドを理解しておく必要がある~

この700ページもある本、いまや学内で読んでいない者はいない・・・

というか、話についていけなくなるという消極的な理由から読んでみたんです。

(それともう一つ、崇拝するエマニュエル・トッドさんが絶賛したというのも背景にはあるんです。)

 

あらかじめ申し上げておきますが、ピケティさんの主張を全面的に(無批判に)受け入れるつもりはありません。

ピケティさんの主張は・・・彼の言わんとすることがハッキリと分かっているとは申しませんが・・・かつてクズネッツが実証した研究成果を土台に、時間的、空間的対象をさらに広げて調査・研究を行ったものと思われ、その研究成果として導き出された結論は多分に経験則に基づくものではないか、と思われるからなんです。

 

ただし、この研究成果が極めて重要な結論を導き出したという点には同意します。

資本主義経済には、所得分配格差が必然的に拡大するメカニズムが組み込まれている一方、経済発展とともに格差が自動的に解消されるようなメカニズムは組み込まれていない、というのですから。

 

この本の肝ともいえる「r>g」という不等式。

資本収益率(r)は経済成長率(g)より大きいが故に、格差は拡大し続けるというのが、彼の実証結果の要諦。

 

ただし、ここでいう資本収益率(r)の「資本」の範囲が今一つハッキリとはせず、不動産等を含めた金銭換算可能なものをごちゃ混ぜにしています。 

したがって、金融資本だけを対象にした不等式ではないことに留意が必要かと思われます。


過去200年ほどの間に限ってみた場合、資本主義経済体制をとる日本を含む欧米諸国においては、富裕層(非労働者階級)が得られる年間平均収益率は概ね4~5%。

一方、非富裕層(労働者階級)は、国民経済の成長による恩恵を賃金として受け取ることになるが、その年間成長率(g)は、概ね1~2%程度にとどまる。

 

つまり。。。

 

国民経済が成長過程にあっても、富裕層が受け取る収益は、非富裕層のそれを大きく上回る。

これはすなわち、全世界規模で資本主義経済体制が成熟するほど、富裕層と非富裕層の経済格差は広がり続けることを意味します。 

もしそのとおりなら、資本主義経済の発展・成熟は、平等化を推進するようなものではなく、むしろ、格差の拡大を推し進めるだけでなく、相続という仕組みにより世代を超えて格差を固定化させるということにつながります。

これは、純粋な新古典派経済学あたりからすれば、容認し難い実証成果といえましょう。

 

更に。。。

 

ピケティの主張のとおりなら、資本主義経済、より正確にいえば、グローバル資本市場主義経済は、やがて民主主義体制の維持すら困難にせしめるほどの格差、すなわち、不平等を生み出すという重大かつ喫緊の対策を要する欠陥を内在化しているということになります。

かような事態を避けるため、ピケティはグローバル資本課税の導入を提唱しています。

 

実際の問題として、すでに安倍政権が実施に向けて着々と進めているように、世界では法人および超富裕層の誘致競争、すなわち、法人税率引き下げ、相続税率の引き下げ(もしくは相続税の廃止)を競っており、国際規模でのグローバル資本への課税強化など、不可能と言い切れます。

なぜなら、一部の国が課税強化を拒否すれば、課税を強化した国から法人や超富裕層が逃げ出してしまうのですから。

(最近になって、シンガポールに日本の超富裕層が2,000人以上移住したという事実を忘れてはいけませんよね。)

 

そういった課税強化は夢物語だとしても、国際的な潮流として、グローバル資本主義への懐疑が強まっており、この本がリベラル派の主張を裏付ける実証研究成果をもたらせたという点には十分留意が必要だと考えます。

むしろ、今や無邪気にトリクルダウン仮説を支持するような風潮は明らかに消滅しつつある、といえるものといえるのでは?

 

米国では、レーガノミスク以降、野蛮で粗野な資本主義が露骨なまでにむき出しになった。

その影響もあり、信じがたいほどの国民が食料援助無しでは生きていけないほどの困窮をみせ、富裕層と非富裕層、特に貧困層との格差は、もはや階層というより固定化された「階級」(class)が国家レベルで構築されたとも思えるほどの様相を呈し始めているとも聞き及びます。 

  

いくら富裕層が経済的に豊かになっても、社会の公正性を高めるどころか、その維持すら困難とするような不平等しかもたらせないとしたら、アベノミクスは根本的に否定されるべき経済政策でしかないのか?

あるいは、本当に「この道しかない」のか?

 

もっとも。。。

 

社会的正義論を持ち出さずとも、日銀とタッグを組んで(より正確には中央銀行の独立性を事実上放棄させてまで)意図的にインフレ発生・円安誘導へと大きく舵を切ったのに、コストや税制といった交易条件の劣る日本へと、わざわざ巨額のコストをかけてまで生産拠点を移すような経営者がほとんどいなかったというのは、まさに悲劇を超えた喜劇でしかない。

グローバル資本主義の観点から考えれば、交易条件の優れた国に生産拠点を移すのは、経営者にとっては「正義」であり、それを後押ししているのが国際会計基準の導入であることをもっと認識すべきではないか、そんな風にも思えるのです。

 

アベノミクスの成果について、軽々に予想することは妥当性を欠くものと考えます。

しかし、その結論はさほど時間をかけずに明らかになるものとも考えています。

 

さてさて。。。

 

世界はどこへと向かうのでしょう・・・

結局、このままではダメだと分かっていながら、先進各国とも「茹で蛙」状態のまま、座して死ぬことを選択するのか、あるいは、ピケティのもたらせた実証研究は杞憂に過ぎなかったということになるのでしょうか・・・

 

最後に。。。

 

余談ながら、Amazonの書評欄に、現時点で誰一人として賛同していない書評が掲載されていました。

         

自分でなんとかしたら?, 2014/12/20

 レビュー対象商品: 21世紀の資本 (単行本)
そもそも政治家の役割(利権)としての富の再分配なんて考え方じたいが間違っている。
格差が拡大することは悪だという考え方も間違っている。
いまは低コストでスキルアップできるんだし、格差に不満があるなら転職すればいいだけ。
国になんとかしてもらおうという考え方じたいが間違っている。
労働組合に参加するなり、ないなら労働組合を自分たちで作って交渉していけばいいだけ。
選挙に行かず、他人任せにしてはいかんよ。

 

この書評、「21世紀の資本」を全く読まずに書いたであろうと容易に想定できる、実に実に、取るに足らないものでしかありません。

 

ただ、こんな書評でも留意すべき点があって、米国の保守派が「21世紀の資本」をマルクス主義と強く非難する視点と相通ずるところがあります。

所得の再配分機能・・・大きな政府を目指すのか、小さな政府を目指すのか、非常に大きな政治的論点を包含しているのですから。