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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

映画「インターステラー」を観る ~ノーラン監督の作品は、何故にココまでボクを魅了し続けるのだろう~

ボクは、SF映画が好き。

怪獣とか惑星間戦争とか、そういったものを除いて。

 

この映画を観終わったとき、「2001年宇宙の旅」をDVDで観たときの衝撃に近いものがございましたぞ。

あの土星の映像の美しさだけでも、日本のチンケなSF映画はゴミ箱行きでござる!

 

ワームホール、タイムマシン、ブラックホール・・・

この映画の中で語られている重要な概念は、未だ実証されていない仮説だらけ。

 

ましてや、生物が生きていくのに適さない惑星となった「地球」に住まう人間たちを救うために、一切姿を出すことのない5次元世界の住人に至っては・・・ご都合主義以外何者でもないでしょう。

・・・それでもなお、この映画が放つ輝きは、一向に衰えることはない。

 

ちなみに。。。

 

ノーラン監督作品との出会いは、やはりDVDで観た「メメント

この作品を鑑賞した後、最初に思ったのは「この監督、マジ天才!」

(低予算でも、これだけの作品が作れるというのは、亡き今敏監督と相通じるものを感じます。)

 

なお、ノーラン監督の作品は、少なくとも市販されているものは全て観ているんですが、その全てが大好き!というわけではございません。

バットマン・シリーズはチョット・・・ダメだったなぁ~、ボクには。

 

さてさて。。。

 

この映画のメイン・テーマを父と娘のヒューマン・ドラマなのでしょう。

一般的な解釈によれば・・・

 

しかし、ノーラン監督の作品の奥深さは、哲学的とも表現すべき深遠なテーマがしっかりと埋め込まれているところ。

映画で語られているように、この母なる星「地球」が人類の生命維持に適した星であり続けることは絶対にありません。

 

恒星・惑星間の関係性から推定される生命活動に適したハビタブルゾーンに地球が存続できる天文学上の最大期間が約11億年。

地球上における地殻変動、大陸間移動だけを考慮に入れた場合、最大で約2億5000万年。

過去の知見から非常に楽観的に考えて約5000万年。

そもそも生物としての人類は約500万年が限界。

小惑星の衝突確率から考えて、約35万年が限界。

などなど・・・どこかで呼んだ記憶があります。

多分にオカルトチックな気がしないでもないのですが、いずれにせよ、人類という種を保存するという選択を行うのなら、この地球を去らねばならない日が来るのは間違いありません。

 

疫病や環境の激変が何ゆえにもたらされたのか、この映画では一言も語られてはいません。

しかし、ボクはこの映画がご都合主義で語らなかったわけではないのだと思いますぞ。

 

マルサスが「人口論」で示したとおり、全地球規模で考えた場合、人類は必ず飢える未来がやってくるはずだから。

全人類が平等に幸せになる未来など、永久にやって来たりはしない。

 

しかし、ココでシニカルに構えるのではなく、解決策を探して全力で取り組む精神と姿勢こそが試されているはず。

コレは、生物としての人間に与えられた原罪であり、進歩への原動力でもあるのだから。

 

そう考えれば、主役のマシュー・マコノヒーが演じていたのは、宇宙規模での開拓者であり、恒星間を股にかけて駆け巡るカウボーイであることが容易に理解できるはず。

また、「自己犠牲にしか、神は決して扉を開くことはない」というキリスト教の精神基盤にも触れる必要性がありそうに思うんです。

 

だって、映画の中に登場する5次元の存在とは「神」を意味するのだから。

この映画が評価されるべき本質とも言うべき点は、「2001年宇宙の旅」と同じく、大胆にも、既存の宗教が作り上げた幻影としての「神」ではなく、物理的存在としての「神」を描き出そうとしている点にこそあるのだ、ということに、もっと注目すべきだと思うんです。

 

「神」無き時代にこそ、描き出される「神」の存在。

 

何故、人類を遥かに凌駕する英知を持った高次元世界の住人は、縁もゆかりもない人類を守ろうとするのか?

その答えは、高次元世界の住人こそ、映画では決して口にされることの無い「神」なのであり、だからこそ、隠れて姿を現すことが無く、言葉で説明するような真似もしないのでしょう。

 

間違いを恐れずに、もっと敷衍して申し上げれば、この人類を猿から分化せしめ、文明・文化を作り上げることのできる「ヒト」へと(進化上)ジャンプさせた、「2001年宇宙の旅」のモノリスのように、この高次元の住人は、人類を「ヒト」として進化せしめた存在なのかもしれません。

これを「神」と言わずして何と言うのでしょう。

 

さてさて。。。

 

どんな苦境にも屈することなく、孤高の存在を貫き通せる驚くほど高い精神性。

そんな「父性」を持った男性に、ボクは崇敬の念すら覚えるのです。

 

何故って? 男子には、そんな父になれる機会がある。

でも、女子であるボクには永久にそんな機会は巡ってはこないから。

 

最後に。。。

 

この映画が良かったのは、故・キューブリックさんの作品と同様、語り過ぎないこと。

最近の映画でもドラマでも、語り過ぎる作品が多過ぎると思うのです。

 

もちろん、寡黙な映画が男子にしか撮れないなどとは思いません。

ハート・ロッカー」を観たとき、これは男子には撮れないだろうなって思いましたもの。