xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

「インディ(団体・所属選手)は差別されてイイんだ」論でプオタを挑発した週プロ、佐藤編集長 ~差別が嫌なら、プロレスなんか見なければイイじゃない~

まあねぇ・・・

これもマスコミによる、火に油を注ぐ方式の爆弾投下なんでございましょう。

 

ネット・・・というか一部のプオタから非難囂々の佐藤編集長。

実は「してやったり」とほくそ笑んでいるかもしれませんぞ。

(だって、プオタを週プロに振り向かせることに成功したんですものね。)

 

もとより、

「商業誌なんだから、雑誌の販売につながらない連中を取り上げる暇なんかない!」

という解釈も成り立ちましょうが、それでは在り来たりでツマラナイ。

むしろ・・・プロレスという存在自体が、平等とはほど遠い、「差別に満ち溢れた世界」なのだと、何故、気付かないのでしょう?

 

民主主義の思想など微塵も無く、博愛主義どころか国家対立すらストーリーラインに組み込む(特にWWE)ことを躊躇せず、一握りのエリートとその他大勢を意図的に作り出し、機会均等は絶対にあり得ない世界。

それがプロレス。

 

そんな非日常的かつ、社会の醜悪な側面を敢えて増幅してクローズアップさせ、それを何の疑問も持つことなくヘラヘラと笑いながら愉しむゲスい人間たちが作り出す空間。

それがプロレス。

 

そのゲスい人間の一人であるボクからすれば、プロレスに「差別」は必要不可欠のエッセンスであり、スパイス。

逆に言えば、「差別」のない空間(あるいは、不正確な用法ではあるが「世界」)に、プロレスという興行は成立し得ない。

 

「プオタのくせにプロレスを馬鹿にするのか?」ですって!?

全然分かっていないですねぇ~

 

プロレスというエンターテイメントの醍醐味は、社会が必然的に内包する醜悪さ(この言葉に嫌悪感をおぼえるというのなら「俗悪さ」でもイイ)を過剰なまでに露呈させる点にある。

だからこそ、日常的に社会規範、法令、諸規則、組織内ルール等にガンジガラメになっている「常識人」が、日頃から鬱積させていた(抑圧されていた)感情を、レスラーという演者に仮託する形で、思うがままに爆発させることができる非日常空間足り得るのである。

 

例えば、学校では「差別=悪」と教える。

当該等式に一切の疑問を持つことを容赦しないぐらいの勢いで。

 

でも、生徒だって馬鹿じゃない。

そんな等式、実社会じゃ成立しない場合が多々あることぐらい、少々血の巡りの悪い子でも直観的に理解している。

 

そんな学校では解消できない疑問が、プロレスという非日常的な「場」においては容易に説明できるのなら・・・

あるいは、プロレス持つ魅力の一つが「差別」というタームで説明できるのなら・・・

 

つまり。。。

 

佐藤編集長の言葉を借りるまでつまりもなく、

「プロレスでは、差別など何の問題にもならない」

(言い換えれば、「プロレスでは、差別される方が悪い」)

のである。

ゼロワンの大谷選手が声を大にして差別撲滅を叫んでも、そもそもが論理矛盾であり、意味をなさない。

 

そして。。。

 

インディ団体やインディ団体に所属するレスラーを差別することは、プロレス・マスコミの立場からすれば、至極当然のことであり、これに反駁するような輩はプロレスを観なければイイのである。

「差別されることから、インディ団体は始まる」

これが正しい姿なのである。

 

・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・・

 

さてと、我ながらムチャクチャな論理展開だなぁ~と。

お許しあれ。

 

まあ、週プロに公平な扱いを要求する方が

「ドウかしているぜ!」(某芸人風)

って感じを冬の訪れとともにホンノリ感じたので、書いてみたのでござる。

テキトー過ぎる?そうであっても、イイんですよ。

 

だって・・・

 

それがプロレスを愉しむってことだから!!

(ウソ)