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xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

"God’s Not Dead" ~Evidence for God in an Age of Uncertainty~

神?

姿は見えないし、声は聞こえないし、触れることすらできない

科学的根拠なんて何も無い

 

だから、信じない

 

紀元前の昔から「神の存在証明」は数知れず試みてこられた

でも、未だに万人を納得できるような証明は、唯の一つも"存在しない"

 

むしろ

 

「全知全能なる神が存在するのなら、何故、対立者たる悪魔が存在するのか?」

「いくら神に祈っても、貧困や病苦から救ってくれないのは何故か?」

といった基本的な疑問にすら、誰一人として(オカルト的なるものを除き)明確な理由を説明できない。

 

『神は死んだ』

そう宣言されても、粛々と受け入れる他はないのか・・・

 

ちょっと待って

その命題・・・そもそも真なのだろうか?

 

見えないものは信じない、というのなら、

貴方の夫あるいは妻、もしくは、恋人が自分だけを愛してくれているというのも、所詮は、貴方の勝手な妄想でしかないのかもしれない

 

自分が不在のとき、夫や妻、恋人が自分以外の誰かと肉体関係を持っていないと、どうやって証明する?

探偵を雇う、監視カメラを付ける・・・それって最初から相手を信用していないってことを自ら証明しているだけ

 

子供が生まれたとき、その子が間違いなく自分の子供だと、男性はどうやって"証明"する?

その子が、目の前で無邪気に喜んでいる男の子供なのかどうか、それを知っているのは妻だけ

 

そうかといって、出産直後の妻に向かって

「子供のDNA鑑定を行う」

と口走ったら・・・

その途端に家庭は崩壊の危機に直面する

 

見てはいない、しかし、信じるしかない

その場面では、これが答え

 

あやふやで非科学的ではあっても、それを(例え積極的ではないにせよ)受け入れる他に選択肢が無い場面というのは、実は日常的に存在している

不条理が存在することは認めつつ、神の存在を認めないのは・・・何故?

 

卑近な例で神が存在するなどと主張する気などない

ただ、見えない、聞こえない、触れられない、といった程度の問題は、不存在を証明することにはならない、ということを分かっていただきたかっただけ

 

今年12月13日、ほんの僅かな映画館だけで

米国映画「神は死んだのか」

が公開

 

今もなお科学技術の先端を独走し、自然科学系ノーベル賞受賞者もダントツの規模を誇る米国において、何故、神の存在証明が重要な意味を持つのか?

人造国家として、人間の理性に基づき成立したはずの国家が、何故、神の問題と直面し続けなければならないのか?

 

ボクには、そういった(ある意味でありふれた)問題よりも、人間の理性なるものは、神を信じることによってもたらされる共通意識、常識、モラルよりも人間社会の基盤となり得るのか、といった観点の方が興味深い

 

信じることは、必ず痛みを伴う

それでもなお、信じることを選択する

 

人間の行動原理において、信仰が果たす役割とは?

信じることは、果たして、本当に非科学的なものなのか?

 

興味は尽きません