xlab’s diary あやしい時代

感じたことを、感じたままに

安倍公房 「燃えつきた地図」を読む ~自己の存在を証明する"地図"がある、と思い込むことのあやふやさ~

ボクは、故・安倍公房さんの作品を「砂の女」以外読んでいなかったのです。

砂の女」は確かに衝撃な作品ではあったが、いつもの癖で、だからといって同じ作者の作品を味わってみたいとは思わなかったんですよね。

 

もし、彼の作品と何がしかの縁があるのなら、いつかどこかで出会うこともあろうと思っていたから。

そして、その出会いが不意にやって来たというわけ。

 

本郷から根津に下ったところにある古書店で見つけたのが、今回取り上げさせていただく「燃えつきた地図」

この作品に対する世間の一般的な評価がどのようなものか、ボクは知りません。

 

さてさて。。。

 

この作品、「砂の女」を先に読んでいなかったら、おそらく読了することなく、そこらへんに投げ捨てていたことと思います。

冗長で意味不明な展開が続き、何がイイタイのか、一向に分からないから。

 

この作品、最後の最後で何がイイタイのかが分かるという"仕掛け"がなされている。

流石に、いろいろな意味で苦笑しちゃいましたぞ。

 

で。。。

 

この作品のプロットは・・・

プロットらしいプロットがあるわけではない。

 

安倍公房さんらしい、というべきか、文学的な香りのしない、ある種の乾いた感じのする文章が淡々と続きます。

登場人物が放つ言葉にも、何故だかボクには生気が感じられないのです。

 

不条理である。

これが安倍公房さんの作品に共通するものなのかどうかは知らないけれど、

都会で生きるということ

の意味を、解体したうえで再構築を図ろうとしたのかしら・・・とも感じた次第。

 

文学的な思考実験として、人間関係を極限にまで希薄化させた"都会"という舞台で、ヒトが狂うことなく正常であろうとする(注:ここでいう「あろうとする」という意志は、積極的な意味での決意に近いニュアンスを持つ)のであれば、"失踪"するという選択はありだ。

自己の存在を意味付けている全てのものを積極的に排除するための作業こそが、失踪という手段であるから。

 

では・・・失踪によって名前すら失った存在となり得たとき、ヒトは自己の存在を解体しえたと言えるのか?

この作品の興味深い点として、上記のように思考実験の舞台として設定した、極限にまで人間関係を希薄化させた"はず"の都会においても、人間関係の絆・・・というより、朝露の水滴によってその全容を露わにする蜘蛛の糸のように張り巡らせた罠あるいは機能として、人間関係は厳然として存在するのだと、暗示していることに留意する必要があることなんですよね。

 

さらに、エピローグとして語られる主人公の独白は、素晴らしい。

そうか・・・そうだったのか・・・作品のほとんどを占める無意味とも思えるエピソード群は、都会で生きるということを意味付けするためには、無意味だと思えたものに(後講釈によってのみ可能な)意味を見出すという作業が必要なのだということを述べていたのだと、無知なボクに分からせてくれたんです。

 

「生きる」ことの意味を問うことは無意味なのか?

あるいは、 そのような問いに回答すること自体が可能なのか?

 

その作品が最後になって指し示す、存在証明の深遠には、生きることの意味なんて、後になってから

「あぁ・・・あれも、これも、そういうことだったのか・・・」

と意味付けを行うという、自分なりの落とし前を付ける他にはないのだということすらも言い表せているんじゃないかなぁ。

乱暴に言ってしまえば、一部で根強い「自分探し」なるものなんて、ハッキリ言っちゃえば、こんな感じの落とし前を付ける作業なんだろうと思うんだけど。

 

最後に。。。

 

『自己の存在を証明するものとは何か?』

この問いに対する安倍公房さん流の回答は、お見事。

 

証明の方法として、自己そのものに言及する方法と、自己以外のものに言及する方法(自己ではない何かを明らかにすることにより、自己の外縁を浮き彫りにする方法)があるとすれば、「砂の女」が自己言及型なら、「燃えつきた地図」は自己の外縁について言及するものといえるのではないかしら。

その意味で、自己の存在の証明という同じテーマでありながら、異なる作品を創作した(あるいは創作しなければ不十分だった)理由も分かろうというものですね。

 

無意味であることは、理由があること

不条理であることは、実在ということ

 

相反するはずの概念が、思考実験の場では、辞書を引けば書いてあるような語義のとおりではなく、その差異は非常にあやふやなものであることが見出される。

この作品に出合えたことを神に感謝しつつ、今日はこの辺で・・・

 

おやすみなさい。